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刑部城(静岡県浜松市北区) [古城めぐり(静岡)]

DSC05885.JPG←主郭南側の土塁
 刑部城は、阿王山紫城とも呼ばれ、当地の土豪が築いた城である。一説には、庵原忠良、長谷川秀匡、内山一党が守っていたと言う。いずれにしても徳川家康の遠江侵攻に対して抵抗したことから考えれば、今川方の拠る城であった。1568年12月に刑部城にこの地の人々が立て籠もって徳川軍と戦ったが、敗れて落城した。その後、家康は、菅沼氏を置いて城を守らせたと言う。その他の歴史は不明である。
 刑部城は、都田川支流の南岸の比高15m程の小丘に築かれている。山上は竹林となっているが、一応登道があって、遺構の表札が設置されている。東側に登り口があり、主郭とニノ郭を分断する堀切に通じている。堀切の東側のニノ郭は、金山神社が鎮座する小さな曲輪である。堀切から腰曲輪を経由して登ると、小さな枡形虎口を介して主郭に通じている。主郭内部は一面の竹林で、南側に高さ1.5m程の土塁が築かれている。主郭内には井戸状の円形の窪みが3ヶ所ほど存在するが、改変されたものらしい。遺構の井戸は、主郭の東縁部に石組みの大井戸が残っている。いきなりポッカリと口を開けていて、子供が来たら間違って落ちそうな感じでやや危険である。柵があった方がいい様に思う。主郭内は、竹薮で歩くのが大変であるが、何とか進むと、主郭北半分の辺縁部に沿って堀状の溝が走っており、武者走りの遺構ではないかと言われているらしい。見た限りでは武者走りというより、排水側溝か柵列か何かに思える。以上が遺構の全てで、遺構はよく残っているが非常に小規模な城で、せいぜい数十人しか籠城できない規模のささやかな城砦である。
石組みの井戸跡→DSC05902.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.804677/137.659882/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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ねじまき鳥

藪が酷いですね。

by ねじまき鳥 (2013-09-08 16:35) 

アテンザ23Z

>ねじまき鳥さん
ホントにそうなんです。
一応道はあるんですが、道の両側はかなりの竹藪で、
特に主郭東側は、突っ切るのに難渋しました。
by アテンザ23Z (2013-09-08 19:58) 

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