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進藤楯(山形県酒田市) [古城めぐり(山形)]

IMG_0483.JPG←主郭背後にそびえる土塁と櫓台
 進藤楯は、最上義光の重臣であった酒田城主志村伊豆守の家老進藤但馬守の居城である。進藤但馬は、慶長年間(1596~1615年)にこの地で1,500石の知行を得ていたが、1614年の一栗兵部が乱を起こした際、志村九郎兵衛(伊豆守の子)と鶴ヶ岡城に入る途中、兵部に敗れて討死したと言う。
 進藤楯は、進藤集落南方の比高40m程の丘陵地先端に築かれた平山城である。土塁で周囲を囲まれた、広大な窪地状の主郭を持ち、その背後には高さ15m程にもなる高土塁上の櫓台がそびえている。更にその背後には円弧状に空堀が穿たれ三の郭と分断されている。主郭には2つの虎口があり、北側の大手虎口は竪堀状となっており、南側の搦手虎口は土塁を貫通して堀切状となっている。主郭手前にはニノ郭があり、更にその手前に数段の腰曲輪が築かれている。珍しい、窪地状の主郭を持った城である。
主郭背後の空堀→IMG_0496.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.900259/140.023534/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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