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添川楯(山形県鶴岡市) [古城めぐり(山形)]

IMG_0590.JPG←馬出し曲輪のL字状土塁
 添川楯は、羽黒山の北に伸びる山塊から、西に伸びる半島状丘陵に築かれた城である。鎌倉時代に執権北条時頼によって探題として派遣された3人の長吏の内の1人、梅津中将実高の居城であったとされる。南北朝期には寒河江大江氏の持ち城となり、戦国期には再び梅津氏の城となり、上杉氏が庄内を制圧してからは上杉氏の、関ヶ原合戦後に庄内が最上氏の所領となると最上氏の持ち城となった。1614年、最上義光の死後、一栗兵部高春が清水義親を擁して反乱を起こすと、この添川楯に立て籠もって新関久正に討伐されたと言う。

 添川楯は、標高110m程の丘陵地に築かれた城である。南北を沢で挟まれた要害の地で、西麓の畑地から城内を貫通するように林道が伸びており、簡単に訪城することができる。但しその分、林道建設で遺構は破壊を受けてしまっている。途中がくびれた丘陵上に点々と曲輪を連ねた縄張りで、中央部の広い平場に主郭を含めた3段の曲輪を築いている。主郭背後には高さ2m程の土塁を築き、更に背後を二重堀切で防御していた様である。更に奥には城内最高所となる東曲輪がそびえ、方形の小規模な物見曲輪の周囲に空堀と帯曲輪が廻らされて防御を固めている。一方、主郭部の北側には横堀が穿たれ、外周に腰曲輪群が構築されている。また主郭部の手前にも道沿いに二重堀切らしき跡が残り、そこから主城部に向かう道沿いにはL字状の土塁が残り枡形状の馬出し曲輪になっていた様だ。草木が繁茂しているが、遺構は比較的明瞭に確認できる。主郭土塁の裏には「添川館跡」という標柱も立てられている。近世初頭まで使われた城にしてはあまり技巧性は無く、素朴な縄張りであるが、ネット上では無名なのが不思議なくらい、城の形態をよく残している。
主郭部の横堀→IMG_0607.JPG
IMG_0643.JPG←主郭の土塁
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.739462/139.971965/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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うぴこ

初めまして!

うちのおばあさんの実家がお城の真下なんですが、素人でもわかるようなお城的ななにかありましたか?

by うぴこ (2021-08-11 12:41) 

アテンザ23Z

>うぴこさん
設定エラーでコメントに気付くのが大変遅れてしまいました。申し訳ありません。
おばあさんは城の真下に住んでいらしたんですか。そういう境遇は羨ましいです。
でも中世の山城なので、「素人でもわかるようなお城的なもの」は期待できないです。こういう城では、地元の人に聞くと決まって「何もないよ!」と力説されるのが常なので・・・。

by アテンザ23Z (2021-12-20 22:08) 

うぴこ

その後、行ってみました(#^^#)

確かになんか分からなかったです(笑)
少し勉強してまたチャレンジしてみます。

ありがとうございます。
こちらこそお返事遅くなり申し訳ありません。
by うぴこ (2022-06-21 12:04) 

アテンザ23Z

>うぴこさん
曲輪、土塁、空堀、土橋。
こんなお城用語がわかるようになれば、
今まで見えていなかったものが、
薮の中に浮かび上がってくると思います。
再チャレンジ、頑張ってください!
by アテンザ23Z (2022-06-21 19:11) 

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