SSブログ

前田慶次旧跡(山形県米沢市) [古城めぐり(山形)]

DSCN2906.JPG←無苦庵西側の土塁
(2020年9月訪城)
 前田慶次利益は、前田利家の甥である。利益については、小説や漫画などでも書かれていて有名なので、その事績についてはここで改めて記載はしない。上杉景勝の家臣となって慶長出羽合戦の長谷堂合戦にも従軍し、景勝の米沢移封に従って米沢に移り住んだ。晩年は、堂森の地に隠棲して悠々自適の生活を営んでここで没したと伝えられる。そのため、堂森付近には利益に所縁のある史跡が散在する。

<前田慶次屋敷>
 前田慶次屋敷は、無苦庵と称され、前田慶次利益の晩年の屋敷地である。2015年に発掘調査が行われた結果、屋敷の規模が確定され、それまではただの伝承地であったが、より確からしい「推測地」となった。県道1号線沿いにあり、南東の隅が車道建設で破壊され、屋敷地の大半は民家と畑に変貌している。しかし西から北にかけて土塁が残っており、矢竹も残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.910414/140.151848/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<慶次清水>
DSCN2896.JPG
 慶次清水は、無苦庵から南東に300m弱の山林の中にある。無苦庵で過ごした利益が、飲料水にここで湧き出る清水を使用していたと言う。「里の名水・やまがた百選」に選ばれている。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.908975/140.154809/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<堂森善光寺>
DSCN2916.JPG←前田慶次の供養塔
 堂森善光寺には、利益の供養塔が建てられている。しかし近年建てられたものなので、残念ながら文化財的価値はほとんどない。それよりもこの善光寺には、鎌倉幕府創業の功臣大江広元の次男長井時広(出羽長井氏の祖)とその妻の木造が残っている。武将の木造は各地に残っているが、妻の木造というのは極めて希少であり、夫妻の木像が揃って残る貴重な例である。堂森善光寺を訪れたら、利益の供養塔よりも長井時広夫妻の木像を拝観すべきである。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.907350/140.151654/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


前田利家・利長: 創られた「加賀百万石」伝説 (中世から近世へ)

前田利家・利長: 創られた「加賀百万石」伝説 (中世から近世へ)

  • 作者: 大西 泰正
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2019/04/12
  • メディア: 単行本


タグ:居館
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント