南部氏館(山梨県南部町) [古城めぐり(山梨)]
←館跡に残る井戸
南部氏館は、後に伊達氏と並ぶ奥州の雄となった南部氏の発祥の地である。甲斐源氏の祖新羅三郎義光から3代の裔加賀美次郎遠光の3男三郎光行が、1180年に平家打倒に挙兵した源頼朝に従って軍功を挙げ、甲斐国南部郷を与えられて入部し、南部氏を称した。光行はこの地に居館を構えたが、1189年の奥州合戦の軍功により、奥州糠部の地を賜った。光行は、3男六郎実長を波木井に残し、自身とその一族は奥州に移って栄えた。その為、南部氏館はいつまで使われたかは明らかではない。
南部氏館は、富士川西岸の微高地に築かれている。しかし館跡は市街化で宅地に変貌しており、遺構はほとんど残っていない。わずかに民家の敷地の中に井戸だけが残っていて、町の史跡となっている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.290617/138.455393/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
南部氏館は、後に伊達氏と並ぶ奥州の雄となった南部氏の発祥の地である。甲斐源氏の祖新羅三郎義光から3代の裔加賀美次郎遠光の3男三郎光行が、1180年に平家打倒に挙兵した源頼朝に従って軍功を挙げ、甲斐国南部郷を与えられて入部し、南部氏を称した。光行はこの地に居館を構えたが、1189年の奥州合戦の軍功により、奥州糠部の地を賜った。光行は、3男六郎実長を波木井に残し、自身とその一族は奥州に移って栄えた。その為、南部氏館はいつまで使われたかは明らかではない。
南部氏館は、富士川西岸の微高地に築かれている。しかし館跡は市街化で宅地に変貌しており、遺構はほとんど残っていない。わずかに民家の敷地の中に井戸だけが残っていて、町の史跡となっている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.290617/138.455393/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館
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