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竹沢二郎館(埼玉県小川町) [古城めぐり(埼玉)]

DSCN1320.JPG←館跡の平場
 竹沢二郎館は、武蔵七党児玉党の一流、竹沢二郎行高の居館である。平安末期に児玉保義の5男行高が竹沢郷に分封され、竹沢氏を称してここに館を構えた。その後の竹沢氏の事績は不明点が多いが、南北朝時代に鎌倉府執事畠山道誓(国清)の命で新田義興(新田義貞の庶子)を矢口渡で謀殺した竹沢右京亮は、一説にはこの竹沢氏の末裔とも言われる。但し、『太平記』の西源院本(古態本系)では「片沢」右京亮とある。同族の江戸遠江守とともに坂東八平氏秩父氏の一流とされるので、児玉党竹沢氏とは別流であろう。1368年に鎌倉府の武蔵支配に不満を高めていた武州平一揆が挙兵した際には、竹沢左近将監が挙兵に加わって敗れ没落しているが、これも平一揆の名の通り平氏流竹沢氏と思われるので、竹沢二郎行高の後裔とは別流ではないだろうか。

 竹沢二郎館は、雲龍寺の北東の谷戸にある。雲龍寺背後にある熊野神社への参道脇から登ることができる。奥まで南北に3段の平場が展開しているようだが、夏場で雑草がすごかったので、奥まで行くのは断念した。鎌倉時代の土豪の居館に多い、背後に山を控えた選地の居館である。尚、熊野神社の脇には竹沢氏所縁とされる五輪塔がある。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.074797/139.241259/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


武蔵の武士団: その成立と故地を探る (読みなおす日本史)

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