釜屋大洞城(岐阜県恵那市) [古城めぐり(岐阜)]
←主郭南の堀切
釜屋大洞城は、高田徹氏が2020年に発表した新発見の山城である。これを受けて恵那市教育委員会は『恵那市の新発見城館跡』として調査結果をまとめている。恵那市は新発見城館の調査に非常に積極的で、今後更なる新城の調査が待たれる。
釜屋大洞城は、標高660mの山上に築かれている。城の南約250mの所に市道が通っており、その脇から城まで小道が通じている。小道の入り口には昨年の山城サミットで案内板がせっちされているので、わかりやすくてたいへん助かる。こんな新発見城郭にまで案内板を設置する恵那市の努力には頭が下がる思いである。案内板には「この先約800m」と書かれているが、実際には前述の通り250m程しかなく、背後の尾根から行く感じなので大した高低差もなく、気軽に行くことができる。主郭を中心に、北東の尾根に曲輪群を連ね、更に北西に伸びる尾根にも出曲輪を築かれている。主郭の南東部には枡形虎口が築かれ、下方の腰曲輪に繋がっている。この腰曲輪から主郭の南側にかけて堀切が穿たれているが、両端を曲げて竪堀を落としており、全体として開いたコの字型をしている。更に南尾根に腰曲輪数段を築き、先端を円弧状横堀を穿って防御している。主郭の西には張り出した小郭が築かれ、その周りにある城道に対する防衛陣地となっている。北東尾根の曲輪群の側方には腰曲輪が築かれている。かなり普請の痕跡がはっきりした城で、城跡であることは疑いない。位置的に信長本陣であった諏訪ヶ峯砦(鶴岡山陣城)の後方にあることから、東濃を巡る天正の騒乱期に織田軍の後方警備の陣城として築かれた可能性が考えられる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.329893/137.372746/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
釜屋大洞城は、高田徹氏が2020年に発表した新発見の山城である。これを受けて恵那市教育委員会は『恵那市の新発見城館跡』として調査結果をまとめている。恵那市は新発見城館の調査に非常に積極的で、今後更なる新城の調査が待たれる。
釜屋大洞城は、標高660mの山上に築かれている。城の南約250mの所に市道が通っており、その脇から城まで小道が通じている。小道の入り口には昨年の山城サミットで案内板がせっちされているので、わかりやすくてたいへん助かる。こんな新発見城郭にまで案内板を設置する恵那市の努力には頭が下がる思いである。案内板には「この先約800m」と書かれているが、実際には前述の通り250m程しかなく、背後の尾根から行く感じなので大した高低差もなく、気軽に行くことができる。主郭を中心に、北東の尾根に曲輪群を連ね、更に北西に伸びる尾根にも出曲輪を築かれている。主郭の南東部には枡形虎口が築かれ、下方の腰曲輪に繋がっている。この腰曲輪から主郭の南側にかけて堀切が穿たれているが、両端を曲げて竪堀を落としており、全体として開いたコの字型をしている。更に南尾根に腰曲輪数段を築き、先端を円弧状横堀を穿って防御している。主郭の西には張り出した小郭が築かれ、その周りにある城道に対する防衛陣地となっている。北東尾根の曲輪群の側方には腰曲輪が築かれている。かなり普請の痕跡がはっきりした城で、城跡であることは疑いない。位置的に信長本陣であった諏訪ヶ峯砦(鶴岡山陣城)の後方にあることから、東濃を巡る天正の騒乱期に織田軍の後方警備の陣城として築かれた可能性が考えられる。
主郭の枡形虎口→
←南の円弧状横堀お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.329893/137.372746/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世山城