瀬月内楯(岩手県九戸村) [古城めぐり(岩手)]
←楯跡の無惨な現況
瀬月内楯(瀬月内館)は、歴史不詳の城である。瀬月内川と安堵城沢の合流点北側にそびえ、南西に向かって突き出た通称「館鼻」と呼ばれる小丘に築かれている。九戸村観光協会発行の『九戸政實歴史探訪史跡めぐり』のマップを見て訪城したが、なんと楯跡は山林皆伐で遺構の多くが破壊されてしまっていた。わずかに山頂に3段の平場跡があること、その南下方に段曲輪が築かれていることがわかるに過ぎない。北東側の丘陵基部には二重堀切が穿たれていたと言うが、現在は大きく破壊されてしまっており、側方に落ちる竪堀がわずかに残るだけとなっている。
それにしても、『九戸政實歴史探訪史跡めぐり』に掲載し、現地(瀬月内川対岸の車道脇、城の南西方向)に城址標柱と解説板まで設置しているのに、なぜこんな破壊を許してしまったのか、誠に残念でならない。九戸村には昨年5月に遺構が破壊されたことを知らせる投稿をしたが、今に至るまで回答はないままである。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/40.113781/141.443481/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
瀬月内楯(瀬月内館)は、歴史不詳の城である。瀬月内川と安堵城沢の合流点北側にそびえ、南西に向かって突き出た通称「館鼻」と呼ばれる小丘に築かれている。九戸村観光協会発行の『九戸政實歴史探訪史跡めぐり』のマップを見て訪城したが、なんと楯跡は山林皆伐で遺構の多くが破壊されてしまっていた。わずかに山頂に3段の平場跡があること、その南下方に段曲輪が築かれていることがわかるに過ぎない。北東側の丘陵基部には二重堀切が穿たれていたと言うが、現在は大きく破壊されてしまっており、側方に落ちる竪堀がわずかに残るだけとなっている。
それにしても、『九戸政實歴史探訪史跡めぐり』に掲載し、現地(瀬月内川対岸の車道脇、城の南西方向)に城址標柱と解説板まで設置しているのに、なぜこんな破壊を許してしまったのか、誠に残念でならない。九戸村には昨年5月に遺構が破壊されたことを知らせる投稿をしたが、今に至るまで回答はないままである。
堀切の痕跡の竪堀跡→
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/40.113781/141.443481/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
戦国の城の一生: つくる・壊す・蘇る (475) (歴史文化ライブラリー)
- 作者: 英文, 竹井
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2018/09/18
- メディア: 単行本
タグ:中世平山城