二階堂政貞屋敷(神奈川県大井町) [古城めぐり(神奈川)]
←屋敷地の現況
二階堂出羽守政貞は、鎌倉幕府で政所執事や評定衆を務めた有力御家人二階堂氏の後裔である。二階堂氏の祖、山城守行政の次男行村が、1213年の和田合戦の際の功により大井庄を賜り、篠窪の地頭となった。その後、1285年の霜月騒動で大井庄の大部分は幕府に没収されたが、篠窪地区は二階堂氏が伝領し、地頭6代目の出羽守政貞に引き継がれた。政貞は、明徳年間(1390~94年)頃にこの地に屋敷を構えたと伝えられている。1394年に没した。その子孫は篠窪を姓とし、小田原北条氏、大久保氏に仕えたと言う。
二階堂政貞屋敷は、政貞が開基した地福寺の南東の丘陵地にある。付近一帯は住宅地に変貌し、明確な遺構はないが、民家脇に屋敷の解説板が立っている。また地福寺には二階堂家(篠窪家)の墓所がある他、屋敷南東の山頂には了全塚という二階堂政貞の墓が祀られている(了全は政貞の法号)。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:【屋敷】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.349707/139.171457/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【了全塚】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.347642/139.173174/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
二階堂出羽守政貞は、鎌倉幕府で政所執事や評定衆を務めた有力御家人二階堂氏の後裔である。二階堂氏の祖、山城守行政の次男行村が、1213年の和田合戦の際の功により大井庄を賜り、篠窪の地頭となった。その後、1285年の霜月騒動で大井庄の大部分は幕府に没収されたが、篠窪地区は二階堂氏が伝領し、地頭6代目の出羽守政貞に引き継がれた。政貞は、明徳年間(1390~94年)頃にこの地に屋敷を構えたと伝えられている。1394年に没した。その子孫は篠窪を姓とし、小田原北条氏、大久保氏に仕えたと言う。
二階堂政貞屋敷は、政貞が開基した地福寺の南東の丘陵地にある。付近一帯は住宅地に変貌し、明確な遺構はないが、民家脇に屋敷の解説板が立っている。また地福寺には二階堂家(篠窪家)の墓所がある他、屋敷南東の山頂には了全塚という二階堂政貞の墓が祀られている(了全は政貞の法号)。
山頂の了全塚→
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:【屋敷】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.349707/139.171457/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【了全塚】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.347642/139.173174/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館