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三国志 武帝紀 [雑感]

 最近、三国志を読み直している。三国志といっても、良く知られているような小説ではない。れっきとした歴史書の正史三国志の翻訳版だ。ちくま学芸文庫から文庫本サイズで出ているのに気づいて小躍りして喜んだのは、もう何年前のことだったろうか?確か宇都宮に来る以前のことだから、もう10年以上前になるだろう。その頃は、まだ史記も読んだことがなく、中国史の基礎知識もほとんどなかったので、当時は読んでみても、半分ぐらいしか理解できなかった印象がある。
 だって、夏・殷・周三代の歴史や斉桓・晋文・楚荘などの春秋五覇の故事なども知らなかったからね。わからなくて当然だった。何せ正史だと、皇帝の詔勅や官僚からの建言書が載っていて、必ずといっていいほど過去の故事が引き合いに出されているのだ。
 読み直しといっても、最近は試験勉強と仕事が忙しく、たまに寝る前にちょっとベッドで読む程度なので、遅々として進まない。それでもようやく最初の武帝紀が読み終わった。
 ちなみに武帝とは魏の曹操のことである。念のため。三国志を書いた陳寿は西晋の官僚だったから、魏(曹魏)から禅譲を受けて(実際には簒奪して)成立した西晋から見れば、三国時代は魏こそ正当王朝だったので、陳寿としてもそのスタンスで史書を書かざるを得なかった。したがって、司馬遷の創始した紀伝体の体裁を取った三国志において、本紀に建てられるのは曹操に始まる魏の歴代皇帝なのである。(曹操は実際には帝位にはつかなかったが)
 さて話がそれたが、最初に読んだときは全体の流れも過去の故事もわからなかったので、つまらなくて読むのが辛かったが、今回はなるほどと納得しながら読めた。読んでいて思ったが、曹操はある時までは王朝簒奪の野望はなかったようだ。自ら軍を率いて北に南に東にと征旅を続けていたが、ある時点までは官爵にこだわっていなかったように思われるのだ。それでも劉備は早くから、曹操の簒奪の意を見抜いて曹操から離れたと言われるが、まだそのころはそんなに強い簒奪の意を持っていなかったように感じた。それがある時から、おそらく漢の建て直しは不可能と見たいうか、持て余したのだろう。突如野望があらわになるのである。ちょうど献帝の皇后を捕らえて殺した辺りからだ。
 まぁ、本紀は歴史の表面上の建前しか書いてないから、本紀だけ読むとそう感じるだけかも知れないが。その辺は列伝を読んでいくと追い追いわかってくるだろう。
 なお、三国志の時代、群雄割拠する各勢力とも、烏桓や羌などの周辺諸民族を軍事力として頻繁に利用していたことが、今回読み直してあらためてよくわかった。この辺も、迫り来る五胡十六国時代を知っていると、なかなか感慨深いものがあった。


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