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真田氏館(長野県上田市) [古城めぐり(長野)]

DSC06115.JPG←館南面の土塁
(2007年5月訪城)
 真田氏は・・・。今更語る必要も無いですね。そうです。あの真田氏です。でも一応のことを書きます。
 真田氏はもともとは海野氏から出たと言われている。真田氏を興隆に導いたのは、初代幸隆である。幸隆は、武田信玄に仕えて砥石城攻略などの謀略戦に手腕を発揮した。嫡子信綱、次男昌輝は長篠の合戦で命を落とし、三男昌幸が跡を継いだ。昌幸が築いたのが上田城である。この昌幸の代に、徳川軍を寡兵を以って2度に渡って撃退し、真田の名を不動のものとした。しかし天下の覇権を握った徳川に楯突いた事が仇となり、関ヶ原の合戦後、紀州九度山に配流となり、昌幸はそこで没した。真田宗家は、徳川家重臣本多忠勝の娘婿となっていた長男信幸が継ぎ、次男信繁は大坂の陣に身を投じた。これがかの有名な幸村である。幸村は父に劣らぬ戦巧者で、冬の陣では大坂城のウィークポイントである南面に真田丸という出丸を築いて徳川勢を撃退した。続く夏の陣では死を決して徳川本軍への突撃を試み、徳川家康を本陣から緊急脱出せざるを得なくするほどの働きを示して敗死した。この合戦の後、ある大名の自領宛書簡に書かれたのが、有名な「真田日本一の兵(つわもの)」という言葉である。
 さてそんな真田氏のもともとの本拠地とされているのが、この館跡である。現在は御屋敷公園になっており、敷地内はパターゴルフ場になっているので、かつての面影は無い。しかし周囲には土塁が残っており、虎口も開かれている。どこまでが旧状であるのかはわからないが。まぁ有名な観光地なので、静かに居館跡を巡るわけにはいかないので、行く方はお覚悟を。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.431538/138.316712/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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