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砥石城(長野県上田市) [古城めぐり(長野)]

DSC02104.JPG←「本城」の主郭、石垣が残る
 砥石城は、北信の雄、村上義清の支城網の一角をなす重要拠点で、上田原から真田の庄に至る地方を一望に見渡せる絶好の場に築かれた山城である。この城を巡っての攻防で、小県地方への侵攻を企図していた武田信玄の軍を、村上勢は上田原の合戦に続いて再び破り、「砥石崩れ」と長く語り草になる惨敗を喫させた。その後、謀将真田幸隆の手で調略により一夜にして乗っ取ったことで、村上勢を北信から一気に駆逐する画期となった重要な城であった。
 城は、太郎山を中心とした千曲川北岸の山塊の東の端に築かれている。麓の「内小屋」地区も含めて大きく6つのブロックからなる別城一郭式と言われる連立式山城である。中心となる「本城」と北の最高所に築かれた物見砦のような「枡形城」、南の「砥石城」、南西の出城である「米山城」、本城の東側に展開する「水の手曲輪群」から構成される。現在では本城東のかつての大手道のほかに、砥石城の南から登るハイキングコースが整備されているため、薮に突入する苦労をすることなく城全体を巡ることができる。ハイキングコースが整備されているせいもあって、それほど峻険なイメージはなく、麓から15~20分ほどの登山で城域に達することができる。
 米山城、砥石城、枡形城は規模が小さく、物見砦か出城の域を出ないレベルのものである。要所を堀切などで防御しているほかは、小規模な石積みの遺構があるくらいで、大きく目立つところはないが、唯一砥石城北側の切岸は規模と傾斜が大きく、目を見張るものがある。本城は、山城としては非常に曲輪の規模が大きく、かなりの居住性を併せ持っており、相当数の兵を駐屯させることができたようである。石垣遺構の残る主郭を中心に、4~5つほどの広めの曲輪とそれを取り巻く数段の帯曲輪で構成されている。
 全体を歩いた印象では、山城の峻険さを武器とするよりも、城内に込めた多数の兵員と、各部に独立した城塞群の連環戦略で、最高の防御性を発揮して武田軍を翻弄したのではないかと考えられる。歴史的にも重要な城であるほかにも、遺構が非常に良く残っていて整備もされていて見やすいので、是非訪れて欲しい城である。
本城の曲輪群→DSC02091.JPG
       きれいに削平されている

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:【本城】https://maps.gsi.go.jp/#16/36.426701/138.290982/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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