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矢田掘城(群馬県太田市) [古城めぐり(群馬)]

DSC04270.JPG←南側の土塁
 矢田掘城は金山城の支城の一つで、金山城主の由良氏一族の泉基国、基茂が城主であった。城とは言うものの、基本的には方形単郭居館に見える。一般的な館跡と違うのは、築かれた土塁が二重土塁であることであろうか。しかし、現地解説板をよく見ると、土塁に囲まれた曲輪内に点線で二重の四角が書かれており、往時は環郭式に二つの曲輪が存在していたのかもしれない。周辺は完全に宅地化しているため、遺構の残り具合は良好とは言えないが、それでも一部の土塁が残っており、特に大手があったと思われる南側の土塁は、二重土塁の形状のまま残っている。また大手道の名残と思われる道は土塁の近辺で屈曲しており、食違い虎口になっていたようである。これ以上、遺構が隠滅しないことを望みたい。
屈曲する大手道→DSC04271.JPG
  食違い虎口の名残と思われる
 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.334505/139.382343/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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