小滝城(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]
←主郭北側の土塁と堀跡
小滝城は、那須氏の一族小滝氏の築いた城である。那須資藤の五男資信が1370年に小滝郷に封ぜられて小滝氏を名乗った。慶長年間(1596~1615年)に小滝信定は福原氏に仕え福原城に移ったので、小滝城は廃城になった。
城は「相の川」という小川を天然の外堀として築かれた平城で、当初は単郭の方形居館であったものが複郭の城に発展したらしい。現在は宅地や水田になっているので、県道南側の「外城」という地名のあたりには城の痕跡を見出すことはできないが、主郭に当たる「中城」の北半分には民家の周りを囲むように土塁と空堀が残っている。「那須の戦国時代」という本によれば、昭和初期までは主郭南に食違い虎口も残っていたらしいが、現在では湮滅している。せめて主郭全周の土塁と堀だけでも残っていればと惜しまれる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.895032/140.063603/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
小滝城は、那須氏の一族小滝氏の築いた城である。那須資藤の五男資信が1370年に小滝郷に封ぜられて小滝氏を名乗った。慶長年間(1596~1615年)に小滝信定は福原氏に仕え福原城に移ったので、小滝城は廃城になった。
城は「相の川」という小川を天然の外堀として築かれた平城で、当初は単郭の方形居館であったものが複郭の城に発展したらしい。現在は宅地や水田になっているので、県道南側の「外城」という地名のあたりには城の痕跡を見出すことはできないが、主郭に当たる「中城」の北半分には民家の周りを囲むように土塁と空堀が残っている。「那須の戦国時代」という本によれば、昭和初期までは主郭南に食違い虎口も残っていたらしいが、現在では湮滅している。せめて主郭全周の土塁と堀だけでも残っていればと惜しまれる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.895032/140.063603/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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