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新田目城(山形県酒田市) [古城めぐり(山形)]

DSC06463.JPG←主郭北側の水堀跡
 新田目城は山形県で最古の城といわれている古城である。一説には、出羽の国府と有力視されている城輪柵に赴任にする国司の代わりに職務を代行した「留守殿」の居館跡とも言われるが、また違う説では前九年の役、または後三年の役の折に八幡太郎源義家が須藤氏を出羽留守諸職に任じ、その居館として築かれたとも言う。中世戦国期に入ると留守氏の居城となって、留守氏は戦国後期の庄内争奪戦の際、大宝寺氏に味方して戦ったようである。
 新田目城は庄内平野のただ中にある平城で、近くに大きな川もなく地形的にも要害性が全くない平場であり、なぜこの地に城を築いたのか、その意図するところは定かではない。その点から見ると、古代国府の付随施設という見解は正しそうにも思える。現在本楯公民館と大物忌神社のある一帯が主郭跡で、周囲には土塁と水堀跡が全周ではないものの残っている。ただ土塁はかなり崩されているようで、傾斜は非常に緩くなってしまっている。一部には櫓台と思われる高台もあり、周囲が宅地化しているところからすれば遺構の残りは良好な方であろう。要害性を持たないことから考えて、戦国期には軍事拠点というより中継拠点の役目を負っていたのではないだろうか。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.967701/139.888380/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平城
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ノリパ

昔からの行政の中心地だったんですかね。
わざわざ移転しなかったから、お城としたんですか。
そのように考えてみていくと、いろいろと面白いですね。
by ノリパ (2008-12-20 19:46) 

アテンザ23Z

私が城歩きを始めた最大の理由は、その場所に立つと、そこにいた当時の人が何を考えていたのか、わかるような気がしてくるからでした。
それを強く感じたのは、楠正成の千早城に行った時でした。大軍の展開が困難な狭隘な地形の中にそびえる山城を見て、正成の意図と決意がわかるような気がしました。
歴史上の場所に実際に行ってみて思いをめぐらすと、面白いことが多いですので、ノリパさんも是非試してみて下さい。
by アテンザ23Z (2008-12-22 02:53) 

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