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毒島城(群馬県伊勢崎市) [古城めぐり(群馬)]

DSC06923.JPG←島の如く浮かぶ毒島城
 毒島城(ぶすじま)は、その歴史は定かではないが、永禄年間に青木氏が在城したらしい。現地解説板は、規模が小さく防御性も高くないので出城であったとの説を載せている。
 多田山丘陵東側の広い湿地帯の中に、浮島の如く浮かんだ楕円形の城である。現在では周囲の湿地帯は全て水田となっていて、城の中も畑となっている。楕円形の主郭の周りを一段低い腰曲輪がぐるりと全周取り囲んだシンプルな構造で、遺構は良く残っているが、土塁などの防御施設はない。しかし、往時は周囲を湿地帯が囲んでいたので、それだけで十分な防御性を発揮したのかもしれない。
 それにしてもこの城の名前、毒の島。しかも読み方は「ぶすじま」である。すげー名前だ。もし自分の苗字が毒島だったら、なんかすげーヤダな・・・。(世の中の毒島さん、ごめんなさい。)小学校とかでものすごくいじめられそうな名前だ。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.389402/139.212935/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平山城
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ノリパ

湿地帯に浮かぶ小島が、お城というのは想像しただけで絵になりますね。
by ノリパ (2008-12-30 21:58) 

アテンザ23Z

南北朝の争乱で有名な常陸の関城や大宝城も
当時は大宝沼という沼地のただ中にある城だったようです。
浮島とはちょっと違うかもしれませんが、
当時の状況を思い浮かべると、興味深いものがあります。
関東平野には、湿地帯のただ中の城というのは非常に多いのです。
by アテンザ23Z (2008-12-31 01:32) 

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