北熊井城(長野県塩尻市) [古城めぐり(長野)]
←主郭東側の三重堀
北熊井城は、単に熊井城ともいい、松本平東部の台地が松本平に半島状に突き出た部分に築かれている。ちょうど上野山上城のような丘城である。規模もちょうどほぼ同じ程度で、かなり大きい城である。
もともと信濃守護小笠原氏が松本平の南の防衛拠点として築いたが、天文19年(1550年)に武田信玄が小笠原攻めをした際に攻め落とされ、その後は武田氏の城として使用されたようだ。現在に残る縄張りは、その特徴から武田氏の改修を受けたものと見られるという。
東西に長い丘陵を堀切で分断し、各曲輪はほぼ真四角な形状をして東西に一直線に連なった、基本的には単純な縄張りである。しかし堀はいずれも規模が大きく、しかも高低差が少なく防御性の弱い南側は二重掘、主郭東側は3郭との間を三重掘として厳重に防御している。私が歩いた限りで明確に曲輪とわかるのは5つだったが、実際には6つであるらしい。主郭とその東の2つの曲輪は畑になっているが、堀と土塁はほぼ旧状を残しているようだ。主郭の西の2つの曲輪は薮化していて、11月でも中に突入するのは困難である。この2つの曲輪の南側は二重掘となっていて、堀に挟まれた土塁には虎口跡と思われる欠などが見られる。しかしなんと言っても一番の見所は、前述した主郭周りの大規模な堀であろう。
なかなか見ごたえのある城である。やはり武田の城はすごい。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.130561/137.982616/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
北熊井城は、単に熊井城ともいい、松本平東部の台地が松本平に半島状に突き出た部分に築かれている。ちょうど上野山上城のような丘城である。規模もちょうどほぼ同じ程度で、かなり大きい城である。
もともと信濃守護小笠原氏が松本平の南の防衛拠点として築いたが、天文19年(1550年)に武田信玄が小笠原攻めをした際に攻め落とされ、その後は武田氏の城として使用されたようだ。現在に残る縄張りは、その特徴から武田氏の改修を受けたものと見られるという。
東西に長い丘陵を堀切で分断し、各曲輪はほぼ真四角な形状をして東西に一直線に連なった、基本的には単純な縄張りである。しかし堀はいずれも規模が大きく、しかも高低差が少なく防御性の弱い南側は二重掘、主郭東側は3郭との間を三重掘として厳重に防御している。私が歩いた限りで明確に曲輪とわかるのは5つだったが、実際には6つであるらしい。主郭とその東の2つの曲輪は畑になっているが、堀と土塁はほぼ旧状を残しているようだ。主郭の西の2つの曲輪は薮化していて、11月でも中に突入するのは困難である。この2つの曲輪の南側は二重掘となっていて、堀に挟まれた土塁には虎口跡と思われる欠などが見られる。しかしなんと言っても一番の見所は、前述した主郭周りの大規模な堀であろう。
なかなか見ごたえのある城である。やはり武田の城はすごい。
主郭南側の堀と土塁→
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.130561/137.982616/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
空堀がしっかり残ってますね。写真を見ると、木があまりないのが
見学にはうれしいですよね。木が生い茂っていると、イヤになりますよね。
by ノリパ (2009-02-01 05:51)
真冬でも薮がひどい城などに出くわすと、ちょっと悲しくなってきます。
帰ってから確認した写真が、何を写したんだかさっぱりわからない時もあるし・・・。
by アテンザ23Z (2009-02-02 01:28)