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寄居要害山城(埼玉県寄居町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC10484.JPG←主郭と二の曲輪
 寄居要害山城は、金尾山城とも呼ばれ、1532年に藤田左衛門佐重利(北条氏邦の養父、藤田康邦のこと)が築いたといわれている。城主は金尾弥兵衛で、鉢形城の西方及び後方の守りの支城として、古道の監視と支城網と鉢形城の繋ぎの城として機能した。1590年6月14日に鉢形城が降伏すると、廃城となった。
 城は荒川南岸に屹立する比高110mほどの金尾山山頂に築かれており、現在は愛宕神社が二の曲輪跡に置かれて公園化している。主郭は小さく、物見櫓程度の意味しか持たなかったであろう。主郭の東と南を囲むように二の曲輪が広がっているが、それほど大きな曲輪ではない。主郭の北側には何段かの段曲輪と竪掘が、二の曲輪南側には緩斜面に沿って数段の広い曲輪が展開するが、特にこの南側の曲輪は冬場でも藪がひどく、ほとんど形状を把握することができない。南端近くには馬出しや虎口の遺構もあるようだが、それこそ藪の中である。かつては城の南側に金尾峠を通る古道が堀切を兼ねて通っていたというが、現在は県道として大きく拡張されたためかつての面影はなく、城の南域も一部崩されたようである。
 藪のせいで、十分に遺構を見ることができなかったため、あまり大した城という印象は持てなかった。
 なお、山麓の伝蔵院は城主の居館跡であったほか、金尾の対岸の波久礼の地に城の穀倉があり、殿倉の地名が残っているという。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.130555/139.150277/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

展望台みたいのがありますね。ということは、物見櫓ですか。
どちらにしても景色は良さそうですね。
by ノリパ (2009-03-15 18:22) 

アテンザ23Z

>ノリパさん

この主郭跡の展望台からは、
鉢形城や花園城がよく見えます。
天神山城からの狼煙の中継地点としても絶好の場所だったと思います。
by アテンザ23Z (2009-03-18 00:45) 

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