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箕輪城(栃木県下野市) [古城めぐり(栃木)]

DSC00084.JPG←主郭北の空堀と土塁
 箕輪城といえば、落ち目の関東管領上杉憲政を最後まで助けて奮戦した長野業政の居城(群馬県)が有名だが、これはそれとは全く別の栃木県内の城である。
 箕輪城の築城時期や築城者には諸説あるようだが、一説には小山高朝が1462年に築いたと言われている(現地解説板による)。また「とちぎの古城を歩く」では、1462年に壬生胤業が壬生城の支城として築いたという説と、鎌倉時代に小山氏が築いた説を載せている。また廃城時期もわかっていないらしく、1558年5月とも、1590年の小田原北条氏滅亡に伴って小山氏も滅亡した時とも言われている。

 箕輪城は、思川の支流の一つ、姿川右岸の河岸段丘上に築かれており、周囲を空堀で囲まれたほぼ真四角な主郭と、その南の第2郭からなっている。主郭はその周囲の土塁と空堀が非常によく残っており、虎口の土橋も明瞭である。特に北側の堀は規模が大きくすばらしい。主郭内にはわずかな堀跡(溝?)が残っており、おそらく主郭に建っていた御殿の周囲を区画していたか、御殿の排水溝であったのだろう。そして比較的大きな空堀をはさんで南に第2郭があるが、ここの堀はかなり埋まってしまっておりだいぶ浅くなっている。この堀の東端に土橋があり、それを防御するように土塁にわずかな横矢が掛かっている。第2郭内は現在畑となっており、ビニールハウスなども設置されているため、幾分破壊を受けているようである。西側は住宅地になっているので、土塁も堀もかなり湮滅してしまっているが、南から南西にかけての土塁と空堀はよく残っている。2つの曲輪は共にそこそこの広さがあり、ある程度の兵力を置くことができたと思われる。全体的な縄張りは、小山氏の拠点の一つ、鷲城によく似ているので、やはり小山氏が築いた城ではないかと感じられた。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.399368/139.830959/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

山の中のように見えますが、住宅街やビニールハウスがあるくらい
ならそんなに山の中ではないんですね。
by ノリパ (2009-03-21 19:27) 

アテンザ23Z

>ノリパさん

平野部なので、街中ですね。
とはいっても田舎ですが。
栃木あたりだと、街中でも思いがけなく城跡があったりするので、
面白いです。
私が生まれ育った千葉の方では、
なかなかそういうわけにはいかないので・・・。(遺構壊滅!)
by アテンザ23Z (2009-03-22 01:18) 

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