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熊倉城(埼玉県秩父市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC03482.JPG←主郭の空堀
 熊倉城は、「長尾景春の乱」の際、鉢形城を追われた景春が籠もった城と言われている。景春が最後に籠もった「日野要害」が、この熊倉城のことだと言われている。熊倉城には井戸が無く、谷津川上流より引水していたが、城攻めの折に発見されて落城したと言う。
 城は荒川流域の平地からかなり奥に引っ込んだ山の上に築かれている。そのためこの城から直接川筋の平地部を監視するには不向きである。従って、籠もって攻め寄せる敵と戦うだけならば良いが、敵軍の動きを事前に察知して兵を繰り出すには不向きな地勢である。しかし山の頂は平坦で、これをうまく利用して広い曲輪を展開している。2本の空堀で頂の平坦面を3つに分断した連郭式の縄張で、更にその前後に何段かの段曲輪を設けている。主郭周囲には土塁があるがかなり低く明瞭ではない。また空堀も浅いもので、普請があまり徹底されていない印象を受ける。景春が最後の抵抗を試みるため急造した城と考えれば、これらの遺構も納得できる。伝承に過ぎず確証は無いようではあるが、伝承通りこの城を景春の最後の抵抗拠点であると見なしたい。
 なお城の近くまで山道が通っているので車で行くことができるが、車で登るだけでも時間が掛かる。山道が無かったら、比高も高く奥まった場所にあるので遭難のリスクもある危険な城であっただろう。こんな場所に城を構えるとは、やはり追い詰められた故であろうか。
南側の段曲輪と堀切・土橋→DSC03467.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.943727/139.002221/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世山城
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