秋元氏館(埼玉県深谷市) [古城めぐり(埼玉)]
←館跡の石碑
秋元氏館は深谷上杉氏の家臣秋元氏の居館である。秋元氏は元々上総の出身で、1541年景朝の時に、深谷城主上杉憲賢・憲盛に仕えて深谷上杉氏の三宿老の一人として活躍したと言う。景朝の子越中守長朝は1590年の小田原の役の際に、上杉氏憲が小田原城に立て籠もって留守となった深谷城を守備し、豊臣方の前田利家・浅野長政の大軍の前に、籠城の不利を悟って開城したと言う。その後、徳川家康に仕えて家名は幕末まで存続し、最終的には館林6万石の大名にまで登った、中世からの関東の武家としては稀有な例である。
館跡は現在、完全に宅地化して湮滅し、住宅地の中の交差点中央のロータリーに石碑が残っているだけである。こんなところにもきちんと解説板を設置しているとは素晴らしい。館跡の西を流れる押切川は、かつては居館の外堀の役目を果たしていたのだろう。尚、南東800m程のところにある元誉寺には秋元景朝・長朝の墓がある。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.182883/139.287243/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
秋元氏館は深谷上杉氏の家臣秋元氏の居館である。秋元氏は元々上総の出身で、1541年景朝の時に、深谷城主上杉憲賢・憲盛に仕えて深谷上杉氏の三宿老の一人として活躍したと言う。景朝の子越中守長朝は1590年の小田原の役の際に、上杉氏憲が小田原城に立て籠もって留守となった深谷城を守備し、豊臣方の前田利家・浅野長政の大軍の前に、籠城の不利を悟って開城したと言う。その後、徳川家康に仕えて家名は幕末まで存続し、最終的には館林6万石の大名にまで登った、中世からの関東の武家としては稀有な例である。
館跡は現在、完全に宅地化して湮滅し、住宅地の中の交差点中央のロータリーに石碑が残っているだけである。こんなところにもきちんと解説板を設置しているとは素晴らしい。館跡の西を流れる押切川は、かつては居館の外堀の役目を果たしていたのだろう。尚、南東800m程のところにある元誉寺には秋元景朝・長朝の墓がある。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.182883/139.287243/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館 武蔵深谷上杉氏の城郭
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