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小桜城(山形県長井市) [古城めぐり(山形)]

DSC02611.JPG←これが居館跡?の空き地
 小桜城は、元は宮村館と言い、長井市中心部に築かれていた居館である。伝承に拠れば、1058年に安倍貞任の娘、卯の花姫が宮村に館を築いて源義家と戦ったので、「卯の花の館」と呼ばれていたと言う。伊達領となっていた1542年の伊達稙宗・晴宗父子が争った天文の乱の時には、宮村館は片倉伊賀守の居館であったと言い、伊賀守は晴宗党として片倉一族等を率いて強敵鮎貝・大立目・最上連合軍を押し返して晴宗の置賜制覇の端緒を開くなど、智勇兼備の名将として活躍した。乱後の論功行賞で片倉家総領の意休斎景親が館主となり、以後政宗時代の岩出山移封まで続いた。1587年に鮎貝宗信が山形の最上義光に内通して伊達政宗に叛した際には、政宗は宮村館を鮎貝討伐戦の根拠地とするなど、この地は伊達領北方防備の要地であった。また一説には、政宗の名参謀として名高い片倉小十郎景綱の居城であったとも言われている。その後、宮村館は蒲生氏の時代に廃城となった。小桜城の名は後世の命名であると言う。

 小桜城は、かつては周囲に土塁と堀をめぐらした方形居館であったと言うが、現在は市街化によって完全に遺構は湮滅し、その姿をまったく留めていない。城跡付近には明治時代に建てられた旧西置賜郡役所が残されていて、周辺はかなりの空き地となっているが、これが元々の居館跡であったのだろうか?空き地周囲には水路が走っていて、しかも水路を挟んでわずかな高低差があり、水堀の名残を思わせる。しかし今のこの姿を見て、居館跡と思う人はいないであろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.110856/140.036609/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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fuzzy

旅行でご無沙汰しました、前九年の役に所縁のある土地なのですね、卯の花姫の話は知りませんでした、さっそく調べてみたいです。
by fuzzy (2010-01-22 00:24) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
山形・宮城・岩手あたりには、
前九年の役・後三年の役にまつわる伝承が多いですね。
本当にそんなに広範囲に戦が行われたのか、
多少疑問に思うところもあるのですが・・・。
by アテンザ23Z (2010-01-22 01:05) 

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