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練馬城(東京都練馬区) [古城めぐり(東京)]

DSC03362.JPG←石神井川を挟んで望む練馬城
 練馬城は、桓武平氏の裔で武蔵の豪族豊島氏の支城である。鎌倉時代末期に豊島景村によって築かれたと言われている。豊島氏は、本城の平塚城と支城の練馬城・石神井城を拠点に武蔵に勢力を扶植し、新田義貞の鎌倉攻めなどにも従軍して功を挙げた。1476年に生起した長尾景春の乱では、豊島氏は景春方に付いた為、乱の鎮定に当たった扇谷上杉定正の家宰太田道灌は豊島氏を討伐した。1477年、道灌の囲んだ平塚城を救援する為、練馬城・石神井城から出陣した豊島泰経の軍は、江古田原・沼袋ヶ原で道灌勢と激突し、一族150余名が討死する大敗を喫した。泰経は石神井城に敗走し立て籠もったが、道灌はこれを追って石神井城を攻撃し、これを落城させた。練馬城も、石神井城と相前後して落城したとされる。以後、練馬城は廃城になったと思われる。

 練馬城は、石神井川を天然の堀とし、その南の台地上に築かれた城である。その縄張は湮滅の為はっきりしないが、石神井川に臨んで方形の主郭を置き、その周囲に土塁と堀を廻らしていた様である。そしてその周囲には二ノ郭・三ノ郭があったとも言われている。城址は現在、遊園地の豊島園となってしまっており、そのため遺構のほとんどが壊滅してしまっている。わずかに石神井川に面して主郭北側の土塁が残っているだけである。石神井川もコンクリートで護岸が作られているので、その地勢以外にかつてを偲べるものはないが、向こう岸から城址を眺めると、土塁上に木が生い茂っていて城址の風情がわずかに残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.743674/139.646326/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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