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陣幕と道灌槇(東京都杉並区) [その他の史跡巡り]

 石神井城付近には、愛宕山塁の他にも太田道灌にまつわる伝承を持つ史跡が多く残る。その内のいくつかを城巡りの途上、訪問した。

<陣幕>
DSC03343.JPG←陣幕跡の道灌公園
 陣幕は、豊島泰経の籠もる石神井城攻略に当たって、太田道灌が陣を敷いた場所と伝えられている。現在の今川三丁目交差点付近とされており、この一帯は北200m程の所にある井草川(現在は暗渠となり、井草川緑道となっている)より10m程の高台となっている。あくまで伝承なのでその信憑性は不明であるが、陣幕跡付近には道灌公園が置かれ、付近には道灌橋、道灌坂など道灌由来の地名が多数残る。伝承では太田勢は「陣幕」に本陣を置き、「道灌坂」を下って「道灌橋」を渡り、「道灌山」に軍勢を配したとのことである。しかし残念ながら、都市化のため遺構は全くない。
 尚、ここから東にわずか500m程の地は今川という地名で、そこにある観泉寺は、江戸時代まで高家となって命脈を保ったかつての駿河の戦国大名今川氏の後裔の菩提寺である。
道灌橋の碑、かつての台石らしい→DSC03346.JPG

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.717720/139.601351/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

<道灌槇>
DSC03354.JPG
 陣幕より南東1km程の所に荻窪八幡神社がある。1051年に奥州に下向する源頼義が宿陣して安倍貞任征伐の戦勝を祈願したと伝わる古刹である。この神社境内には、石神井城攻撃に当たって、太田道灌が源氏の故事に倣って戦勝祈願した折、献植したと伝えられる槇の樹がある。これを道灌槇と言い、現代に伝えられている。一根二幹であったが、昭和9年の暴風雨で一幹折損し、今は一幹のみ残る。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.710576/139.606544/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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