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島屋敷(東京都三鷹市) [古城めぐり(東京)]

DSC03461.JPG←島屋敷の外周部
 島屋敷は、伝承では武蔵七党の一、村山党の金子時光の居館で、天正年間(1573-92)まで時光の孫金子弾正が居住したと伝わっている。その後、江戸時代初期に柴田勝家の孫柴田三左衛門勝重が、徳川家康から旗本として召しかえられ、この地を与えられて陣屋を構えたと言う。1698年、柴田氏の三河転封に伴って陣屋は廃され、以後幕府の直轄領となったようである。
 島屋敷は、現在は新川団地となっている為、遺構は完全に湮滅しているが、仙川沿いにひしゃげた瓢箪型に島の様に浮かぶ台地の地勢はそのまま残っていて、道路の形にも明瞭に残っている。国土変遷アーカイブの昭和20年代前半の航空写真を見ると、団地周囲の住宅地は以前は全て仙川沿いの低湿地帯(水田)だったことが分かる。この低湿地帯を挟んで目の前の対岸には天神山砦があるが、島屋敷とはあまりに距離が近すぎるので、同時代には存在しなかっただろう。近世になって柴田氏が入部したが、まさか北陸で滅んだ柴田勝家の孫が三鷹にいたとは思わなかった。歴史の変転とはなんとも不思議なものである。
 尚、団地の建て替えに伴って平成3年より都によって発掘調査が行われ、旧石器時代から鎌倉・室町・江戸時代初期に至るまでの遺構が発見された。その内容は現地に立てられた解説板に記載されている。しかしこの解説板、表面保護の為に張ってある透明アクリル板が、経年劣化で透明度が悪くなり、しかも板面から浮いてしまっているので、読みづらいことこの上ない。折角の解説板だから改善して欲しいものだ。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.674555/139.572415/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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