法音寺城(栃木県野木町) [古城めぐり(栃木)]
←主郭東側の空堀跡
法音寺城は、歴史不明の城である。小山氏の家臣菅谷氏に関わる城と考えられている。1577年に北条氏照が菅谷左衛門五郎にこの地の所領を与えており、1585年には小山秀綱が菅谷某に大和守の受領名を与えていると言う。その為、「とちぎの古城を歩く」では戦国末期の天正年間(1573~92年)の頃に菅谷氏によって築城され、小山氏の滅亡に伴って廃城となったのではないかと推測している。
法音寺城は、思川東岸の段丘上に築かれた城で、野木町北部の法音寺の西に隣接して位置しており、主郭周囲の土塁と空堀が南西部以外のほぼ全周にわたって残っている。北辺には折邪が付けられ、北西端には櫓台が残っている。遺構を見た限り単郭かと思われたが、周囲にも土塁や堀の痕跡があったとされ、複郭であったと「とちぎの古城を歩く」に記載されているが、私にはよくわからなかった。主郭内部は広場や民家となっているものの、外周の土塁と空堀はほとんど手付かずに近く、街中で奇跡的に残った城であろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.244377,139.734871&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
法音寺城は、歴史不明の城である。小山氏の家臣菅谷氏に関わる城と考えられている。1577年に北条氏照が菅谷左衛門五郎にこの地の所領を与えており、1585年には小山秀綱が菅谷某に大和守の受領名を与えていると言う。その為、「とちぎの古城を歩く」では戦国末期の天正年間(1573~92年)の頃に菅谷氏によって築城され、小山氏の滅亡に伴って廃城となったのではないかと推測している。
法音寺城は、思川東岸の段丘上に築かれた城で、野木町北部の法音寺の西に隣接して位置しており、主郭周囲の土塁と空堀が南西部以外のほぼ全周にわたって残っている。北辺には折邪が付けられ、北西端には櫓台が残っている。遺構を見た限り単郭かと思われたが、周囲にも土塁や堀の痕跡があったとされ、複郭であったと「とちぎの古城を歩く」に記載されているが、私にはよくわからなかった。主郭内部は広場や民家となっているものの、外周の土塁と空堀はほとんど手付かずに近く、街中で奇跡的に残った城であろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.244377,139.734871&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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