古畑伯耆守重家屋敷(長野県木曽町) [古城めぐり(長野)]
←大手の石垣
古畑伯耆守重家屋敷は、木曽氏の庶流でその家臣であった古畑氏の居館である。古畑氏は木曽家村の3男黒川三郎家景の後裔で、代々黒川に住し、馬場氏と共に黒川口の守りに当たったと伝えられる。重家は戦国後期の当主で、木曽義康・義昌2代に仕えた。1560年、飛騨の三木氏が木曽に侵攻すると、重家は奈川口を守てこれを敗走させた。この戦功により「五貫文山」と呼ばれる山を賜り、江戸時代に木曽を統治した尾張藩が木曽住民に私有林を許さなかった中にあって、この山だけは古畑氏子孫に私有を認めていたと言う。
古畑伯耆守重家屋敷は、木曽福島宿から開田高原に通じる街道沿いにある。現在は国道361号線が通っているが、かつては黒川沿いに飛騨街道の旧道があったらしく、屋敷はこの飛騨街道に面している。現在屋敷跡地は畑となっているが、飛騨街道に面して大手虎口が開かれ、その両側に石垣が残っている。また屋敷地の南北両辺にも段差が残っている。大手門には、門跡の礎石も残っている。どこまでが中世の遺構なのか、どこからが近世の遺構なのかははっきりしないが、石垣と門跡が残っているのは素晴らしい。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.876228/137.674870/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
古畑伯耆守重家屋敷は、木曽氏の庶流でその家臣であった古畑氏の居館である。古畑氏は木曽家村の3男黒川三郎家景の後裔で、代々黒川に住し、馬場氏と共に黒川口の守りに当たったと伝えられる。重家は戦国後期の当主で、木曽義康・義昌2代に仕えた。1560年、飛騨の三木氏が木曽に侵攻すると、重家は奈川口を守てこれを敗走させた。この戦功により「五貫文山」と呼ばれる山を賜り、江戸時代に木曽を統治した尾張藩が木曽住民に私有林を許さなかった中にあって、この山だけは古畑氏子孫に私有を認めていたと言う。
古畑伯耆守重家屋敷は、木曽福島宿から開田高原に通じる街道沿いにある。現在は国道361号線が通っているが、かつては黒川沿いに飛騨街道の旧道があったらしく、屋敷はこの飛騨街道に面している。現在屋敷跡地は畑となっているが、飛騨街道に面して大手虎口が開かれ、その両側に石垣が残っている。また屋敷地の南北両辺にも段差が残っている。大手門には、門跡の礎石も残っている。どこまでが中世の遺構なのか、どこからが近世の遺構なのかははっきりしないが、石垣と門跡が残っているのは素晴らしい。
門跡の礎石→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.876228/137.674870/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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