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高子原合戦首塚(福島県伊達市) [その他の史跡巡り]

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 高子原合戦は、戦国前期の東北を震撼させた伊達氏の内乱「天文の乱」の古戦場である。1542年、かねてより所領拡大策の方針などで対立していた伊達氏14代当主稙宗とその嫡子晴宗は、稙宗の三男時宗丸(後の伊達実元)の越後上杉氏への養子入れについて決定的に対立し、家中を二分する大乱となった。伊達氏は既に多くの子女を周辺諸大名に入れて姻戚関係を結んでいた為、伊達氏家中の内乱は一挙に東北諸大名を巻き込んで二分する抗争に発展した。まず晴宗は、実父稙宗を急襲して桑折西山城に幽閉したが、小高城主相馬顕胤は早速掛田に陣して、掛田氏や小梁川氏と共に稙宗救出に活躍した。この際、保原地区で行われた合戦が高子原合戦である。この合戦で多くの死者が出ると、相馬顕胤は敵味方の区別なく死者を埋葬して首塚を築き、その思いやりが後々まで評判になったと言う。

 高子原合戦首塚は、上保原駅西南西の小高い丘の上にある。周囲が新興住宅地となった裏山にあるが、かなり藪化している。わずかに錆付いた標柱と解説板があるが、ほとんど手入れもされていない状況である。新興住宅地は、新しい入居者が多く当地の歴史が語り継がれないため、こうした史跡も手入れされることなく忘れられてしまうのだろう。私も新興住宅地に住んでいる身として、自戒としなくてはいけない。史跡が忘れ去られるのは、悲しむべきことである。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.808682/140.545886/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:古戦場
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