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館山城(栃木県那須町) [古城めぐり(栃木)]

DSC06573.JPG←主郭の土塁
 館山城は、芦野氏の第2の居城である。元々平地の居館(芦野館)に住んでいたが、室町時代に入り関東が動乱の時代を迎えると、芦野氏は応永年間(1394~1428年)に第2の居城としてより要害性の高い館山城を築いて移った。「とちぎの古城を歩く」では、居館時代から砦として機能していたものを拡張・再構築して移り住んだのではないかと推測している。その後、戦国時代になると、更に狭隘な館山城からより広大で堅固な第3の居城芦野城を築いて移ったと言う。

 館山城は、菖蒲川の西に屹立する比高40m程の山上に築かれている。東側は石切り場となった為に破壊され、ネット上に遺構も壊滅しているらしいとの情報があったが、地形図を確認したところ主要部は無傷と考えられた為、登城してみたところ遺構が確認できた。
 館山城はほぼ単郭の山城で、方形の主郭周囲には土塁が築かれ、西から南に掛けての下方には2段の帯曲輪が取り巻いている。この帯曲輪に連絡する為の虎口が主郭土塁に築かれているのも確認できた。主郭の大手虎口は南から東に迂回しながら登る坂虎口の様で、明確に道跡が残っているが、虎口は特に厳重に作られたものではない。主郭東端は、前述の通り採石の為に遺構が湮滅しているが、主郭面積のほぼ3/4は残っているように感じられた。主郭の中にはやや高くなった土壇があり、そこに祠が置かれている。主郭南は尾根の鞍部を利用した堀切で、主郭虎口はここから登ったようである。堀切の南側は高台となっており、自然地形ではあるものの物見が置かれたと考えられる。その先の遺構は特に確認できなかった。東側部分は湮滅しているものの遺構は良く残っており、小規模な山城の姿を留めている。規模から考えると、居城と言うよりは詰城だったと思われる。
 尚、館山城の東麓を流れる菖蒲川の名は「勝負」に繋がることが考えられ、この地で何らかの合戦があったのかもしれない。

※主郭東側は石切り跡の切り立った崖になっているので、訪城時は注意して下さい。
2段に削平された帯曲輪→DSC06549.JPG
DSC06541.JPG←主郭南の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.984326/140.155892/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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