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羽根倉古戦場(埼玉県志木市) [その他の史跡巡り]

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 羽根倉古戦場は、南北朝時代の観応の擾乱に於ける古戦場である。北朝方の室町幕府は、南朝勢力が各地に残っていたものの、国内政治を10年にわたって主導し一定の成果を挙げつつあった。そんな中、将軍足利尊氏の執事高師直と尊氏の弟で実質的に幕府を主宰していた足利直義との間に確執が生じ、それを機に尊氏・直義兄弟による幕府を二分する抗争に発展した。これが観応の擾乱である。各地の武家は、思い思いに双方に付いて争いを始めた。そんな中の1351年12月、尊氏方の高麗彦四郎経澄は宇都宮氏討伐の為、下野に下向中であったが、直義党の根拠地鎌倉の攻略に転じ、17日に武州鬼窪に兵を挙げて鎌倉街道を一路南下した。これを察知した難波田城主難波田九郎三郎が羽根倉の地で迎え撃ったと言う。合戦は12月19日に行われ、経澄は難波田勢を打ち破り、難波田方は九郎三郎を始め多くの将兵が討死にした。

 羽根倉古戦場は、荒川西岸に位置し、国道463号線の羽根倉橋の袂、運動公園そばの側道に標柱と解説板が建っている。難波田城はここからわずか西方に2km弱の至近にあり、難波田勢が準備不十分なまま、慌てて迎撃戦に突入したことが伺われる。歴史の中に埋もれてしまう局地戦でも、この様にきちんと標柱と解説板が建てられて語り継がれていることは、すばらしいことだ。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.854179/139.586996/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:古戦場
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