SSブログ

柏の城(埼玉県志木市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC00565.JPG←西ノ丸の土塁
 柏の城は、武蔵の豪族大石氏が室町時代中期に築いた城である。大石氏は木曽義仲の裔を称する武蔵屈指の雄族で、小豪族から守護代にまで登り詰めた。1486年頃の記録には大石信濃守顕重の居館であったとされ、大石氏の本城高月城とは別に取り立てられていた様である。顕重以後の城主は定かではないが、大永年中(1521~25年)に修築が行われ、本丸・西ノ丸・二ノ丸・三ノ丸を備えた城郭に発展した。その後、大石氏は北条氏康の次男氏照を養子に迎えてこれに服属し、天正の頃には大石氏の一族越後守直久が柏の城主だったと言う。直久は、顕重の曽孫大石定仲の長男で、1581年より伊豆獅子浜城の城代となった。1590年の小田原の役の際に、柏の城も他の城と同様に豊臣勢に攻められて落城し、役後に徳川家康が関東に入部すると、その家臣福山月斎が新しい地頭となってこの地に居住したと言う。

 柏の城は、柳瀬川に臨む台地上に築かれた城で、現在は完全に市街化され、地勢は残っているものの遺構はほとんど湮滅している。現在の志木第3小学校の地が本丸だったとされる。本丸を挟んで東西に西ノ丸と二ノ丸が直線状に並び、その南側外周を三ノ丸が取り巻いていたようである。三ノ丸の外周には大堀と呼ばれる空堀が取り巻き、それはわずかながらもマンションの裏手に残っている。西ノ丸は畑となっており、その外周にも土塁らしい跡がわずかに残っている。志木第3小の北東の坂道には城山貝塚があるが、これは位置的に往時の二ノ丸櫓台として機能したのではないかと推測される。住宅地にしては解説板が各所に建ち、比較的親切で好ましい。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.832715/139.569594/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント