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深見城(神奈川県大和市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC08795.JPG←複雑な折れを持つ空堀
 深見城は、日本城郭大系では「一の関城山」と記載される、歴史不詳の城である。「新編相模国風土記稿」では、宝徳年間(1449~52年)に山田伊賀守経光の城であったと推定しているが、定かではない。室町時代に生起した長尾景春の乱の際には、深見城の南の四万坂で、長尾方に付いた深見城の軍勢と太田道灌の軍勢が戦ったとも言われる。深見城は、上和田城山より5.5km程、境川の上流に位置しており、境川西岸の比高15m程の段丘上に位置していることも上和田城山と同様である。
 深見城は非常に複雑な縄張を持った城で、かなり埋れているものの幾重にも横矢の掛かった二重の空堀を持ち、その内外の土塁も複雑に屈曲している。崖沿いに築かれた主郭には二ヶ所の虎口が設けられているが、各々左右両袖に横矢を掛ける徹底振りである。発掘調査の結果とその複雑な構造から、16世紀戦国時代の城と推定されているが、小田原北条氏の城にしては規模が小さく、一方で中丸山古戦場に程近いので、中丸山合戦の際に山田経光の故城を利用して北条氏が築いた陣城であったのかも知れない。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.493399/139.468914/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世崖端城
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ジュンクワ

大和市は旧石器時代の遺跡の宝庫で、深見諏訪山遺跡と上和田城山遺跡など学界ではよく知られた遺跡です。そのことは、中世城郭の立地と旧石器時代の遺跡立地が重なっていることを示しています。
いずれも河川を見下ろす台地の張り出し部、見晴らしのよい場所であることが共通しますね。
by ジュンクワ (2011-07-03 12:52) 

アテンザ23Z

>ジュンクワさん
なるほど、そうなんですか。
中世城郭と旧石器時代の立地が重なっている例は、
ほかでもよく見かけますが、
旧石器時代でも外敵から身を守りやすい場所を選んだことが、
城郭の選地と共通性があるのかも知れませんね。
by アテンザ23Z (2011-07-04 01:23) 

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