SSブログ

野庭関城(神奈川県横浜市港南区) [古城めぐり(神奈川)]

DSC00225.JPG←本丸跡とされる丘陵頂部
 野庭関城は、市営野庭団地の中心部にあったとされる城砦である。一説には、鎌倉時代初期に幕府侍所の初代別当となった和田義盛が、鎌倉北方の防衛の為に鎌倉古道の通るこの地に城を築いたとも言われる。地元に残る伝承では、1213年の和田の乱の際、和田義盛に味方する一党が関城に立て籠もり、義盛が鎌倉で滅ぼされた後も、乱の原因を作った泉親衡と共に20日間の籠城戦の末、攻め落とされたと言う。また、日本城郭大系によれば、戦国時代、小田原北条氏の玉縄城の支砦として、野庭の領主石巻康保・安藤良整らが城を構えていたと言い、玉縄城と笹下城の繋ぎの城として機能していたとされる。1590年に北条氏が滅亡すると、廃城となったとされる。

 野庭関城は、現在ほとんど団地となっているが、本丸跡とされる中心部は公園となっていて、丘陵上の地形が残っている。しかし改変が進んでいるせいもあって明確な遺構はなく、高台であったぐらいしかわからない。公園の西部に堀状に窪んだ小道があるが、さすがに遺構とは思われない。尚、港南区のHP「歴史の散歩道~こうなん道ばたの風土記」によれば、公園の北東部にある調整池はかつての沢地で、水堀となっていたらしい。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.389890/139.570602/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:中世平山城
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント