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葛山館(静岡県裾野市) [古城めぐり(静岡)]

DSC02155.JPG←四周に残る土塁
 葛山館は、駿東の豪族葛山氏の居館である。葛山氏は、藤原道隆の子伊周を祖とする大森氏の同族で、惟康の次男親康が大森に住して大森氏を名乗り、惟康の三男惟兼が葛山に住して葛山氏を称した。鎌倉時代には御家人として活躍し、室町時代には室町将軍直轄の奉公衆となり、その後時代の推移と共に、駿河守護今川氏の勢力下に入った。しかし国人領主として半ば独立した支配権を有していたらしく、1493年に今川氏の客将であった伊勢宗瑞(北条早雲)が伊豆に侵攻した際には、葛山氏が今川氏親より援軍として送られ、以後小田原北条氏との間にも深い関係を有した。近年の研究では、宗瑞の側室に葛山氏の娘がおり、その間に生まれた氏広が、後に母の実家である葛山氏を継いでいる。この様な経歴から、葛山氏は基本的には今川氏に従い、その一族衆として遇されながらも、今川・北条両氏に両属的な立場を保った。第1次河東一乱の際にも、葛山氏広は実兄北条氏綱方に付いて活動した。1568年に武田信玄が駿河に侵攻すると、葛山氏元(氏広の養子)は信玄の誘いに乗って武田方に付き、今川氏を助ける北条方に本拠葛山城を奪われた。1571年に武田・北条が和睦して甲相同盟が成立すると、葛山の領地は氏元に返還された。信玄は、6男信貞を氏元の養子に入れ、実質的に葛山氏を乗っ取った。1582年に武田氏が織田信長に滅ぼされると、信貞は甲斐善光寺で自刃し、葛山氏も滅亡した。

 葛山館は、詰城であった葛山城の南の大久保川北岸に築かれた方形単郭居館である。四周には見事な土塁跡が残り、虎口跡も明確である。しかし堀跡は見られず、埋められてしまったのであろう。根古屋の居館がほぼ完存している稀有な例である。尚、隣の家は葛山四天王の末裔である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.202577/138.896016/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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