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尻内城(栃木県栃木市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN9873.JPG←本城の二ノ郭後部の堀切
 尻内城は、佐野氏の一族佐野宗連が天文年間(1532~55年)に築いたと伝えられる山城である。皆川領と境を接し、東は布袋ヶ岡城を経由して宇都宮領・壬生領に通じ、北は粕尾方面、南は皆川城に、西は葛生を経て唐沢山城に通じる交通の要地で、佐野領の最東方を押さえる重要な拠点であったと考えられる。1614年に佐野氏が徳川幕府から取り潰されると、廃城になったと伝えられている。

 尻内城は、山の北側一帯がアゼリアヒルズというゴルフ場に変貌しているが、地形図を見ると山容はほぼ原状を維持しているらしく、「栃木県の中世城館跡」にある略測図とほぼ照合できるため、遺構が残っていると考えて登城した。しかし、東の物見と考えられるピークに腰曲輪状の平場があるほかは、遺構らしいものは確認できなかった。主郭があったと考えられるピークには祠が祀られていて、平場にはなっているが後世の改変の可能性も高く、明確な遺構は確認できなかった。山容は残っているはずなのになぜ遺構がないのか、謎である。「栃木県の中世城館跡」の図の間違いであろうか?

【2024年1月9日改訂】
 尻内城には2012年に行ったが、HP「下野戦国争乱記」の管理人上沢光綱さんから違う峰に遺構があるとのコメントを頂いていた。そこで再度の訪城を長年考えていたのだが、元旦過ぎたある日、栃木県版のCS立体図で1mメッシュの詳細地形図が公開されていたことを知り、あちこちの地形を確認したところ、尻内城の場所も特定できたので、今回改めて訪城した。

 尻内城は、大きく3つの城域に分かれている。中央にある本城、北東の突端部にある東出城、本城の北西の236m峰にある詰城で、それぞれ独立性が高く、尻内城砦群と呼ぶべき規模である。

 東出城は、本城のある山稜の北東にある標高145mの独立峰にある。北東に愛宕神社があり、そこから尾根を登っていけば城域に至る。愛宕神社の東に高台があるが、平坦に削平されているのでここも城域だった可能性がある。南北に細長い尾根上に曲輪を連ねた連郭式の城で、北から順に二ノ郭・主郭・三ノ郭となる。二ノ郭後部には低土塁が築かれ、主郭との間は堀切で分断されている。各曲輪の西側だけ帯曲輪が築かれ、堀切は帯曲輪を貫通している。主郭だけ帯曲輪が2段、更に下に腰曲輪が築かれている。また二ノ郭の帯曲輪は二ノ郭前面まで円弧状に築かれている。三ノ郭は馬蹄形の小郭で、主郭とは切岸だけで区画されている。主郭には三ノ郭と通じる搦手虎口が築かれ、三ノ郭から腰曲輪に繋がる虎口も見られる。三ノ郭の腰曲輪から南には、下り道がありそうである。本城は南に山並みが横たわっているため直下の街道しか監視できないが、東出城の二ノ郭からは東方への監視ができる他、南東には遠く筑波山まで見えるので、この眺望を見ると出城を築いた意味がよくわかる。
DSCN9779.JPG←東出城の堀切と主郭
東出城の主郭帯曲輪・腰曲輪→DSCN9805.JPG

 本城は、標高180mの峰にある。東麓から斜面を直登しようとしたが、土砂崩れ防止の擁壁が取り巻いていて取り付けなかったので、少し北東に離れた神社から裏の尾根に登り、尾根伝いに城まで行った。幸い最近尾根の一部の山林を伐採しており、あまり酷い藪こぎをせずに訪城できたが、皆伐なので数年経ったら背丈を超える雑草で尾根が埋もれてしまうだろう。城は、東から順に主郭・二ノ郭・三ノ郭を並べた連郭式となっており、それぞれ堀切で分断されている。主郭は東に向かって広がった水滴型をした曲輪で、内部は3段の平場に分かれている。最上部から西に向かって下り勾配となっており、両側に低土塁を築いて中央の通路を窪ませている。主郭の北面から南東にかけて円弧状の帯曲輪2段を築いており、下段の帯曲輪は北東の尾根部では堀切となっている。主郭後部の堀切を越えると二ノ郭である。二ノ郭は細長い曲輪で削平がやや甘い。主郭同様、北側に2段の帯曲輪・腰曲輪を設けており、主郭との間の堀切は主郭・二ノ郭の帯曲輪を貫通している。こうした構造は東出城と同一である。二ノ郭は後部にわずかに土塁が築かれ、その背後に城内で最も深い堀切が穿たれ、これを越えると三ノ郭となる。三ノ郭はほとんど自然地形で、西尾根との間に浅い堀切を穿っている。
DSCN9815.JPG←本城の主郭の下段帯曲輪
本城の主郭堀切と二ノ郭→DSCN9846.JPG

 詰城は、本城からやや離れた峰にあり、本城より50m以上高所にある。詰城手前の尾根は結構な急登で、落ち葉で滑りやすく登るのが大変である。詰城は単郭の城で、北側がやや広がった長円形の主郭となっており、まるで古代のチャシの様である。曲輪内は広く、尻内城砦群の中では最大規模である。内部はわずかな段差で3段に分かれており、北に向かって下り勾配となっている。外周に土塁は見られないが、ほぼ全周にわたって帯曲輪・武者走りを廻らしている。この帯曲輪・武者走りは、北東尾根と西尾根では浅い堀切となっている。また北東尾根だけ、堀切と主郭との間に小郭を置いている。西尾根は自然地形だが、少し離れた下方に浅い堀切が穿たれている。遺構を見る限り、詰城の大手は北東尾根にあったように感じられるが、北東尾根の先はゴルフ場になって改変されているので、本城とどのように繋がっていたのかは今となってはわからない。
DSCN9897.JPG←詰城の大きな主郭

 以上が尻内城の遺構で、大きな城とは言えないが、なかなかしっかりした遺構がある見応えのある城砦群である。また栃木県内ではこのように連携して築かれた城砦群は珍しいので、希少性も高い。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:【東出城】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.428249/139.671636/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【本城】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.424865/139.665778/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【詰城】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.425884/139.661937/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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コメント 2

上沢光綱

こんにちは。おひさしぶりでございます。
お城ライフ、いかがお過ごしでしょうか。

さて、尻内城の遺構ですが、書籍の位置とは違うところにあります。あれは縄張図は合っていますが、山を指している位置が違うのです。ゴルフ場には潰されていませんのでご安心ください。

確か、アテンザ23Zさんの指している点の、もっと東の山のほうだったような気がします。また、東側の学校裏山で、神社とP145の小山にも遺構があります。P145の山は超激ヤブとのこと。
なので、尻内城郭郡といえる、広範囲に広がったお城です。

栃木市遺跡分布の調査をしていた方に資料をいただいたので確実です。お時間のある時に訪問してみてください。
by 上沢光綱 (2017-03-30 22:31) 

アテンザ23Z

>上沢光綱さん
貴重な情報ありがとうございます!
そうですか、やっぱり位置が違っていましたか。あまりに現況が縄張図と合わないので、位置が違う気はしていました。
いずれリベンジしてみたいと思います。
by アテンザ23Z (2017-03-31 00:00) 

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