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富沢楯(山形県最上町) [古城めぐり(山形)]

DSC06427.JPG←ニノ郭と先端の物見台
 富沢楯は、鶴楯とも言い、小国城の支城である。小国城主細川氏の一族が楯主と言われているが詳細は不明。1580年に山形城主最上義光が細川氏を攻め滅ぼすと、この戦いで功を挙げた蔵増城主蔵増安房守に小国郷を与え、その嫡子光基は小国日向守を称した。この時、富沢楯には光基の一族が入ったと伝えられている。1622年、最上騒動によって最上氏が改易されると、光基は肥前鍋島藩に預けられ、小国城は破却された。この時、富沢楯の小国日向の一族も仙台に移ったと伝えられており、富沢楯も廃城となったと思われる。

 富沢楯は、JR立小路駅東側にそびえる比高70m程の、鶴の翼のように屈曲した尾根上に築かれた山城で、その形から鶴楯とも呼ばれたとされている。最高所に広い主郭を置き、西側に一段低くニノ郭を築いている。ニノ郭の西端には物見台があって、現在神社が鎮座している。ニノ郭は、この物見台と主郭との間の広い堀切状の平場となっている。ニノ郭の更に西側には腰曲輪・段曲輪が構えられており、大手口があったようである。二ノ郭と主郭との間は2~3m程の段差で区画されているが、この両サイドには竪堀が穿たれている。広い主郭の周囲と東側には腰曲輪が構えられているが、切岸はかなり急峻で高低差も大きい。一番東側の尾根筋は、深さ7~8mの大堀切で分断されて、城域が終わっている。比較的小規模な山城であるが、中々見所があって面白い。
東端の大堀切→DSC06459.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.742369/140.548450/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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