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要害森楯(山形県西川町) [古城めぐり(山形)]

DSC09564.JPG←主郭から見た畝状竪堀
 要害森楯は、歴史不詳の山城である。一説には、沼ノ平楯主東海林隼人昌種の弟が築城したとも言われ、沼ノ平楯の支城であったと推測される。また、城の構造から考えれば、戦国末期から慶長期にかけての最上氏支配時代に、改修されたと考えられる。

 要害森楯は、小規模な山城であるが、非常に特徴的な縄張りを有している。それは、主郭の南斜面から東斜面にかけて、合計19条もの畝状竪堀が穿たれているのである。長さ10数m程で深さも2mに満たない小規模な竪堀群であるが、中々見事な遺構である。実際に竪堀の中に入ると、側方への身動きの取れない巧みな防御構造であることがわかる。畝状竪堀の上は横堀状になっており、この方面から主郭への接近を強力に阻止する構造となっている。その上にそびえる主郭は、南の畝状竪堀に向かって三日月状に凹んだ塁線となっており、横矢を掛けやすくしている。畝状竪堀の南側にも広い緩斜面が広がり、曲輪となっていた様である。また主郭の北側には数段の腰曲輪群が築かれていて、主郭直下のものは主郭から坂虎口状の土塁を通って連絡できるようになっている。要害森楯は町の史跡に指定されており、綺麗に整備されており、遺構が見やすく素晴らしい。その殺傷能力とは裏腹に、コブ状の畝状竪堀群がかわいらしい城である。尚、訪城時には解説板が外されていたが、内容を書き換え中だったのであろうか?

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.466661/140.100607/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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