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山枝庵(埼玉県越生町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC05076.JPG←山中の平場
 山枝庵は、自得軒砦とも呼ばれ、中世関東の名将太田道灌の出生地とされる砦である。現地解説板によれば、道灌の父太田道真は、1430年頃に扇谷上杉持朝の執事として、20歳の頃に龍ヶ谷山中に龍穏寺を建立し、小さな砦を築いて自得軒と名付けたとされる。道真が当地に入部した頃は、毛呂氏越生氏などの在地豪族の勢威が強く、若年の道真に従わなかった為、奥深い山中に砦を築いて防衛したものと推測されている様だ。そして道灌は、1432年にこの砦で生まれたと言われている。
 山枝庵は、道灌父子の墓のある龍穏寺の東北東800m程の位置にある。山道の入口付近に案内板があるが、その先は案内がないので道に迷いそうになる。しかしとにかく山中を東へと進んで行くとやがて平場が現れ、そこに解説板が建っている。この平場も合わせて、2~3段の平場があるようで、これが砦の遺構であるらしい。試掘調査で北宋銭やカワラケが発見されていることから中世以降の遺跡であることが確実で、寺院跡の可能性もあると言うが、秩父往還を押さえる軍事拠点であったとも考えられている。平場だけで明確な城郭遺構には乏しいが、龍ヶ谷の地名(「要害」の転訛)といい、道灌出生の伝承といい、何らかの中世城郭があった可能性は十分あるだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.955915/139.252814/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
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