岡崎氏館(埼玉県越生町) [古城めぐり(埼玉)]
←館跡付近の現況
岡崎氏は、武蔵七党児玉党に属する越生氏の庶流である。越生氏の祖、越生新大夫有行に3人の子があり、右馬允有弘は越生氏を継ぎ、その弟四郎有平の系統から、鳴瀬(成瀬)氏、黒岩氏、岡崎氏の諸氏が輩出され、有平の子四郎二郎有基が岡崎氏を称したと言う。
岡崎氏館は、岡崎薬師付近に位置し、岡崎薬師の参道北側一帯が館跡であったとされる。そこには現在郷土資料館が建てられており、遺構は湮滅している。宗家の越生氏同様、室町初期には歴史の表舞台から姿を消したと考えられ、その為、館の遺構も早くに失われたのであろう。尚、岡崎薬師は、鎌倉期から南北朝時代にかけて各地を転戦した越生氏一族の、現存する唯一の遺跡であるとされている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.965294/139.292854/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
岡崎氏は、武蔵七党児玉党に属する越生氏の庶流である。越生氏の祖、越生新大夫有行に3人の子があり、右馬允有弘は越生氏を継ぎ、その弟四郎有平の系統から、鳴瀬(成瀬)氏、黒岩氏、岡崎氏の諸氏が輩出され、有平の子四郎二郎有基が岡崎氏を称したと言う。
岡崎氏館は、岡崎薬師付近に位置し、岡崎薬師の参道北側一帯が館跡であったとされる。そこには現在郷土資料館が建てられており、遺構は湮滅している。宗家の越生氏同様、室町初期には歴史の表舞台から姿を消したと考えられ、その為、館の遺構も早くに失われたのであろう。尚、岡崎薬師は、鎌倉期から南北朝時代にかけて各地を転戦した越生氏一族の、現存する唯一の遺跡であるとされている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.965294/139.292854/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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