SSブログ

佐久城(静岡県浜松市北区) [古城めぐり(静岡)]

DSC05511.JPG←主郭から見た土橋と馬出し
 佐久城は、南北朝期から戦国時代までを通して浜名地域を支配した浜名氏の歴代の居城である。浜名氏は、平清盛の時代に名声を馳せた源三位頼政の後裔と言われ、南北朝時代の1348年に、浜名氏中興の祖、浜名左近大夫清政が築城したと伝えられている。清政は、北朝の足利方に付いて戦った為、当時遠江南朝方の柱石であった井伊氏の圧迫を受けて、伊勢・美濃の所領に逼塞を余儀なくされたが、その後足利方の攻勢で井伊氏が勢威を弱めると、清政は浜名に戻って佐久城を築いたと言う。以来室町期を通して、浜名氏は足利幕府の奉公衆に列座し、常に京都にあって足利将軍の側近として活躍したほか、歴代歌人としても著名であった。戦国時代後期には、この地を支配した戦国大名今川氏に属していたが、1560年に桶狭間で今川義元が討死し、三河を奪還して自立した徳川家康が、1568年12月に遠江に兵を進めると、浜名氏10代肥前守頼広は、今川方として佐久城に籠って抵抗したが、翌年2月に力尽きて甲州に逃れ、浜名氏は滅亡した。その後、家康の部将本多百介信俊が入城したが、1583年に新たに野地城が築かれると佐久城は廃城となった。

 佐久城は、浜名湖北方の猪鼻湖に東から突き出た半島の先端に築かれている。標高11.9mの段丘上に築かれた城で、城の間近まで別荘地が迫っているものの、遺構は良好に残っている。先端の主郭と、南郭に当たる二ノ郭で構成され、ニノ郭は南半分が破壊を受けてしまっているが、主郭と馬出しが完存している。主郭は公園化されているが、大土塁や虎口が明瞭に残り、その外側に堀切と土橋で連結された馬出しが築かれている。馬出しは角が丸まっていて丸馬出に近い形状になっており、外周に低い土塁を伴い、堀切から侵入した敵への迎撃拠点となっている。主郭内には井戸跡が残り、突端には湖岸に通じる搦手道も残っている。縄張りとしては、比較的素朴なもので、規模も決して大きなものではないが、遺構が良好で中々楽しめる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.786933/137.566391/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
nice!(5)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 2

ねじまき鳥

ここの丸馬出はすごい。
感動しますね。

by ねじまき鳥 (2013-09-08 16:36) 

アテンザ23Z

>ねじまき鳥さん
これだけ形がはっきりしていて、
馬出しであることが明確な遺構は、なかなかお目にかかれません。
貴重ですね。
by アテンザ23Z (2013-09-08 20:00) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント