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篠ヶ嶺城(静岡県浜松市天竜区) [古城めぐり(静岡)]

DSC08816.JPG←三ノ郭の切岸と空堀
 篠ヶ嶺城は、犬居城主天野氏の支城で、室町期から天正年間(1573~92年)初頭まで存続した城である。城主としては天野氏の庶流天野安芸守虎景、その子宮内右衛門勝秀、その甥の和田河内守秀長らが在城したと伝えられている。おそらく徳川家康による天野氏攻略戦の中で廃城となったものだろう。

 篠ヶ嶺城は、北側が大きく蛇行する部分に東から張り出した山稜上に築かれた山城である。北西麓から山道が付いているが、民家と畑を突っ切るため、許可を得て登城した。麓の一段高い畑地と更にその上方20m程の所に広い平坦地が広がっており、往時は居館などが置かれていたと考えられる。その先の尾根筋を登って行くと、堀切の先に広く平坦な四ノ郭があり、その一段上に三ノ郭がある。四ノ郭と三ノ郭の間は、尾根道の西側だけにやや大きな空堀と急峻な切岸で区画防御されている。三ノ郭からニノ郭には、馬出し状の小郭を経由して登り、更に主郭へは城道を兼ねた土塁の上を伝って登っていく。主郭背後には搦手虎口があり、堀切を介して櫓台が築かれており、その周りを腰曲輪が取り巻いている。その先は細尾根となり合計2本の堀切が穿たれて城域が終わっている。シダなどの下草が冬でも繁茂し、藪が多く見辛いが、遺構は明瞭である。ただ、堀切・空堀はその配置から考えて、あまり分断機能が効果的ではなく、やや中途半端な縄張りに感じられる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.013063/137.901013/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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