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藤沢楯(山形県鶴岡市) [古城めぐり(山形)]

DSC03753.JPG←主郭の櫛歯状空堀
 藤沢楯は、湯田川館群の一つである。湯田川館群とは、湯田川温泉周辺に存在する城館群で、現在の国道345号線が古来より庄内~越後を結ぶ街道で、館群はこの幹線が庄内平野に出る口を押さえる要衝に位置している。中でも藤沢楯は高所に位置し、石塔山楯と湯田川集落を挟んで相対しており、その規模・構造から見ても館群の中核的城砦であったと考えられる。伝承によれば藤沢楯は、武藤氏(大宝寺氏)の家老中村小太郎の居城であったが、1586年に上杉勢(最上勢の間違いか?)と戦って落城したと言う。

 藤沢楯は、標高121.4m、比高90m程の山頂に築かれている。極めて特異な縄張りの城で、山頂の三角形の主郭と南側の腰曲輪には、放射状空堀・櫛歯状空堀という「全国でも類例のない特異遺構」(山形県中世城館遺跡調査報告書の表現)が見られる。特に主郭は、中央に長く溝状に走る堀があり、その両側に縁辺直角に櫛歯状空堀が等間隔で刻まれている。その意図は全く不明で、近世の破却の跡とか、後世の何らかの生産に関わる遺構ではないか、などいくつかの説が提示されているが、現地で実際にその遺構を見ると、余計に謎が深まる。ただ、同様な櫛歯状空堀に似た遺構は、最上地方の志茂の手楯のニノ郭腰曲輪にもあるので、何らかの城郭遺構と考えた方が良さそうである。この他の遺構としては、主郭の東側下方には、数段の段曲輪の下に堀切を介して櫓台が置かれ、その先に堀切が穿たれている。一方、主郭北側には幅の広い堀切があり、両側に数本の竪堀を穿って落としている。更にちょっと進むと北端の小堀切があって、その先にも物見台の様な平場がある様だが、実質的な城域はここで終わっている。また城から降る途中で気付いたが、西側腰曲輪群に手前に築いた土塁によって、上段の腰曲輪に繋がる虎口を隠している部分があった。藤沢楯は、城郭遺構としてはっきりしている部分も多いが、依然謎の多い城である。
北側の堀切側方の竪堀群→DSC03806.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.693007/139.780253/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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