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嘉門楯(山形県戸沢村) [古城めぐり(山形)]

DSC04858.JPG←主郭前面の二重堀切
 嘉門楯は、この地域の小領主早坂嘉門が築いた山城である。早坂氏はこの村の草分けで、現在に至るまでその家系を保っている古家である。早坂氏が元々この地に居た豪族なのか、それとも清水氏などの家臣だった者がこの地に入部したのかは定かではないが、地理的位置関係からすれば、おそらく戦国時代後期に清水氏や最上氏の家臣となってこの地域の小領主となっていたと思われる。

 嘉門楯は、角川とその支流長倉川の合流地点北方にそびえる、比高90m程の山稜先端部に築かれている。現在も山麓にある早坂嘉門家の裏山に当たり、この城に登るには麓の早坂嘉門家の許可が必要である。訪城当日はあいにく御本家の方は不在だった為、御分家の方の許可を頂いて登城した。さすがに古家の持ち山らしく、綺麗に下草が駆られて手入れされた城で、遺構が非常にわかりやすい。堀切が多用された連郭式の城で、最前面の段曲輪の前に単発の堀切があり、その先に二重堀切を介して物見台状の三ノ郭があり、更に単発の堀切の先にニノ郭があり、その背後に、前面に二重堀切が穿たれた主郭がそびえている。主郭背後は急峻な三重堀切で分断し、更に背後の尾根筋には堀切が単発で2本穿たれている。この単発堀切の内、内側のものは比較的規模が大きい。城は大きく「くの字」に曲がった尾根に沿って築かれており、山頂部に広く居住性のある主郭を置き、東側に腰曲輪を備えている。腰曲輪には内部を分断する竪堀が数本穿たれ、三重堀切から落ちる竪堀に連続する形で更に竪堀を落として畝状竪堀状とし、背後の尾根から腰曲輪に繋がる動線を厳重に遮断している。城の背後に繋がる尾根の先は広大な平地となっており、自然地形であるが外郭として利用されたと思われる。嘉門楯は、非常に綺麗に遺構が残っている上、縄張りも整然として美しい山城である。この遺構は末永く残してもらいたいものだ。尚、麓には元屋敷の地名が残っている。
綺麗に手入れされた主郭→DSC04854.JPG
DSC04843.JPG←主郭背後の三重堀切
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.667203/140.146742/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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