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大井城(千葉県館山市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_5060.JPG←二ノ丸の堀切と土橋
 大井城は、「安房四氏」と称された豪族丸氏の一流、大井氏(安東氏)の居城である。伝承では、丸氏は源氏に従って軍功を挙げ、安房国を安堵されたとされる。室町時代に安房四氏の間で抗争が生起し、その間隙に乗じて里見氏が安房を平定した後、3代義通死去後の争乱の際、神余・丸氏らの遺臣や末裔が大井城や三原城等に拠って里見氏に叛き、正木大膳亮時綱によって討伐された。その後、大井城は廃城になったと言われている。

 大井城は、南北に伸びた比高30m程の丘陵上に築かれた、安房では珍しい、台地先端部に築かれた直線連郭式の縄張りとなっている。『日本城郭大系』の縄張図によれば、北から北の丸・本丸・二ノ丸・三ノ丸・南郭と続き、主要な曲輪間は堀切で分断されている。しかし南郭の南側の墓地付近にも明らかに腰曲輪と見られる平場や櫓台状の土壇や切岸があり、外郭として機能していたと推測される。この外郭と南郭との間には切通し状の細い道が通るが、これは堀切ではなく後世の改変と思われる。南郭から三ノ丸へは僅かな切岸のみで区画され、その先に堀切で分断された二ノ丸がある。ここには明確な土橋が架っている。ニノ郭の先は箱堀状の堀切があって本丸に至る。本丸の背後の土塁上には、小さな神社が建てられている。本丸の先には5m程の大きな切岸の下に北の丸があるが、ガサ薮と化しており、遠目に眺めただけでここで撤収した。この他に西側斜面にも腰曲輪があるなど、遺構は明確である。城跡へは南東側から外郭の墓地に登る道が付いており、そこから訪城できる。
本丸の堀切→IMG_5080.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.003731/139.930515/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平山城
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