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吉尾城(千葉県勝浦市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_6450.JPG←ニノ郭の堀切
 吉尾城は、吉宇城とも言い、勝浦城主勝浦正木氏の支城である。伝承では、真里谷武田氏の庶流で大多喜城主武田朝信が築城して守兵を置いたと言われている。天文年間(1532~55年)に正木時忠が勝浦城を攻略して居城とすると、吉尾城もその支城となった。1580年の「正木憲時の乱」では、興津城と共に憲時に攻略されたが、直ちに反撃を開始した里見義頼によって奪還され、憲時は興津城に敗走して立て籠もった。乱収束後は、再び勝浦正木氏の持ち城となったのだろう。

 吉尾城は、勝浦城から勝浦湾を越えた対岸の痩せ尾根上に築かれている。城の主要部は吉尾集落東側にそびえる山稜上にあるが、もっと岬の先端に近い部分にも遺構が残存している。まず先端部の遺構は、砂子ノ浦観音の背後から尾根上に登り、そこから辿ることができる。明確な遺構はそこから南西に進んだ先の小ピークにあり、峰上に削平された曲輪と物見台、それとその周囲の腰曲輪等が存在する。一方、主要部へは住宅地裏の小道を登って行くことができる。主郭は閉鎖された民有地で立ち入りできないが、その背後の細尾根上に合計6つの曲輪群が連なり、それぞれ垂直絶壁の堀切で分断された直線連郭式を基本形としている。この尾根の西側斜面に沿って山道が付いているが、これは往時の城道だったらしく、岩盤を削った横堀状の小道になっている。ニノ郭横は垂直切岸の横堀となり、六ノ郭の北東では支尾根を分断する堀切を兼ねている。六ノ郭背後には堀切で区画された三角形の櫓台があり、その背後の尾根筋は両側を削り落とした一騎駆けとなって城域が終わっている。曲輪内は藪が多いが、山道沿いは遺構の確認が容易である。
一騎駆けの土橋→IMG_6509.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.138000/140.288588/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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