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神余城(千葉県館山市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_1548.JPG←主郭を囲む土塁
 神余城は、別名を金丸城とも言い、安房四氏の一、神余氏の居城である。神余氏は、平安時代後期から室町時代までこの地を本拠として勢力を保っていたが、神余(金丸)光孝は家臣山下景胤の謀反により殺害されて城を奪われ、神余氏は滅亡した。しかし景胤は、間もなく同じ安房四氏の安西景吉・丸信朝に討伐されて討死した。

 神余城は、比高15m程の丘陵先端部に築かれている。山頂部に主郭を置き、その北東部と前面に腰曲輪を築いている。主郭内部は周囲を土塁で囲まれた窪地になっており、虎口らしき跡も2ヶ所見られるが、後世の石積み炭釜跡もあるので、改変を受けており、どこまでが往時の遺構かよくわからない。主郭背後にはニノ郭があり、その先は空堀を兼ねたと思われる鞍部の曲輪が続き、その上に三ノ郭が築かれている。三ノ郭は数段の平場に分かれ、櫓台が築かれている。更にその先にも、藪がひどくてわかりにくいが、曲輪らしい平場が続き物見台らしき跡も見られる。明確な堀切はないので、どこまでが城域か、はっきりとは判断し難い。いずれにしても室町中期頃までの、古い形態の城である。
三ノ郭の櫓台→IMG_1570.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.930440/139.869782/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世平山城
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