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見川城(茨城県水戸市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_0321.JPG←横矢の掛かる空堀
 見川城は、水戸城主江戸氏の支城である。元々は、前の水戸城主であった馬場(大掾)資幹の4男、四郎長幹が見川城を築いて居城とし、箕川(見川)氏を称したと言われる。1426年に河和田城主江戸通房が、大掾氏から水戸城を奪って本拠を移すと、河和田城主となった江戸氏の重臣春秋氏の一族、春秋石見守幹光を見川城主にして水戸城西方の守りとした。

 見川城は、千波湖西方の桜川西岸にそびえる比高20m程の台地辺縁部に築かれている。城の間近まで住宅地と公園が迫っているが、奇跡的に城跡は破壊を免れており、水戸の市街地の只中に在りながら遺構はほぼ完存している。空堀と土塁で区画された3つの曲輪で構成されており、東側に位置する最大の曲輪が主郭となっている。主郭は全周を空堀と土塁で囲繞され、西側は2ヶ所の大きな横矢掛かり設け、要所に櫓台を築いて防衛し、南側は斜面に沿って階段状に二重空堀を穿っている。主郭北東角には土橋を架けた虎口があり、外周の腰曲輪と接続している。二ノ郭は主郭の南西にあり、辺縁部に低土塁が築かれているが一面の竹藪となっている。三ノ郭はニノ郭の北に位置し、二ノ郭とは段差だけで区画されている。三ノ郭の西側にも一部だが空堀が残存し、西側の住宅地に向かって土橋が残っている。それ程大きな城ではないが、主郭西辺部の横矢掛かりが見事である。しかし城内はほとんど未整備で藪がひどく、主郭の土橋など確認も容易ではない。折角城址碑が建てられているのだから、史跡に指定して整備と遺構保存の手立てを講じて欲しいものである。
主郭切岸と空堀→IMG_0293.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.368015,140.443758&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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