鳥屋館(宮城県丸森町) [古城めぐり(宮城)]
←本丸の堀切
鳥屋館は、伊達氏家臣大條薩摩守実頼が築いた近世城郭である。実頼は、1601年に丸森城主となったが、その年の内に鳥屋館を築いて居城を移した。1644年に大條氏が尾山に移封となると、山口内記・遠山勘解由を経て、佐々氏が鳥屋館に入部し、7代続いて明治維新に至った。
鳥屋館は、阿武隈川南岸の丘陵上に築かれている。鳥屋嶺神社の東側に堀切が2本あって、台地を分断している。本丸はその東側にあり、広い平場で、南側に一段低い平場が付随している。一面の芝生となっているが、公園にでもするのであろうか?本丸の東側は急斜面となっている。前述の2本の堀切の間はおそらく二ノ丸であるが、縦長の方形の曲輪となっている。その西側が鳥屋嶺神社になるが、神社がある場所も曲輪であったと思われる。その西側も急斜面となっている。鳥屋館は、明確な遺構は2本の堀切ぐらいしか無いが、遺構があるだけマシであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=37.916187,140.769067&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
鳥屋館は、伊達氏家臣大條薩摩守実頼が築いた近世城郭である。実頼は、1601年に丸森城主となったが、その年の内に鳥屋館を築いて居城を移した。1644年に大條氏が尾山に移封となると、山口内記・遠山勘解由を経て、佐々氏が鳥屋館に入部し、7代続いて明治維新に至った。
鳥屋館は、阿武隈川南岸の丘陵上に築かれている。鳥屋嶺神社の東側に堀切が2本あって、台地を分断している。本丸はその東側にあり、広い平場で、南側に一段低い平場が付随している。一面の芝生となっているが、公園にでもするのであろうか?本丸の東側は急斜面となっている。前述の2本の堀切の間はおそらく二ノ丸であるが、縦長の方形の曲輪となっている。その西側が鳥屋嶺神社になるが、神社がある場所も曲輪であったと思われる。その西側も急斜面となっている。鳥屋館は、明確な遺構は2本の堀切ぐらいしか無いが、遺構があるだけマシであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=37.916187,140.769067&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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