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後藤楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_4578.JPG←三ノ郭に架かる土橋
 後藤楯(後藤館)は、駒場楯とも呼ばれる。元々は前九年の役の際に源頼義が陣所にしたとも言われ、後の天文年間(1532~55年)に大崎義隆の家臣後藤平馬之允高広の居城であったと伝えられている。

 後藤楯は、比高40m程の西から東に張り出した丘陵上に築かれている。丘陵上には八幡神社が鎮座しているが、後藤楯の中心部は神社から東に2~300m離れた位置にある。かなり複雑な縄張りを有した比較的大きな城である。外郭の物見台であったと思われる神社から東に100m程降っていくと小堀切があり、ここから城域に入る。堀切沿いの土塁を迂回して進むと、尾根上に細長く何段かの平場群が続いている。その先端の尾根のくびれた部分に二重堀切が穿たれている。1本目は比較的浅いものだが、2本目は5m程の深さがあり、北側に深い竪堀となって落ちている。この先が城の中心部で、やや小さい方形の高台(ニノ郭)の先に切岸で囲まれた横長の広い主郭がある。主郭は外周に腰曲輪を伴い、北東角には小さな隅櫓台とその先の尾根に物見台の小郭があって、眼下を見張っている。一方、主郭の南東には枡形虎口が築かれ、その側方に堀切を挟んで櫓台が築かれている。主郭の東にも曲輪(三ノ郭)があり、南端に大きな櫓台が築かれ、その南側にやはり堀切を挟んで三角形の櫓台が築かれている。三ノ郭の東側は土橋の架けられた幅広な堀切(堀底は腰曲輪となっている)が穿たれ、その先も出丸的な曲輪となっているが、ここには給水施設があって改変を受けている。その先も遺構がある可能性があるが、時間の制約もあって未踏査である。城内は藪が多いので確認しづらい部分も多いが、技巧的な縄張りが散見され、見所は多い。尚、八幡神社登り口に標柱が建っている。
二重堀切の一つ→IMG_4522.JPG
IMG_4558.JPG←三ノ郭の櫓台と堀切・外の櫓台
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.809266/140.938379/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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