SSブログ

大窪城(茨城県日立市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_8333.JPG←主郭西側の空堀
 大窪城は、佐竹氏の家臣大窪氏の居城である。元々は、1177年に大掾宗幹が大窪郷の愛宕山に山城(大窪愛宕山城)を築いたのが始まりとされる。時代は下って応永年間(1394~1428年)に、奥州石川氏の一族、石川光治が佐竹氏に仕えて大窪郷を拝領して大窪氏を称し、新たに天神山に居城を構えた(大窪天神山城)。その後、大窪氏は佐竹氏の重臣として活躍し、天正年間(1573~92年)に新たに大窪城を築いて居城を移した。1602年、佐竹義宣が出羽秋田に移封となると、時の当主大窪兵蔵久光は、義兄の車丹波守斯忠・馬場和泉政道らと共にこの処置に反発して常陸に残り、水戸城奪還を企てて失敗して処刑された。大窪城は、そのまま廃城となった。江戸後期の1839年には、水戸藩の郷校「暇修館」が城跡に建てられた。

 大窪城は、比高10mに満たない丘陵地に築かれている。周囲の宅地化が進んでいて、だいぶ城らしい雰囲気は失われているが、復元された暇修館の周囲には土塁が残っている。これらの土塁は、一部は仕切り土塁となっていて、暇修館が建てられた時に改修されている可能性もあるが、往時からのままである可能性も捨てきれない。しかし暇修館のある主郭外周に残る土塁は明らかに大窪城の遺構と考えられ、殊にその西側に大きな空堀が穿たれて防御が固められている。この空堀は城の南側まで囲んでいたようだが、現在は埋められてしまっている。市街地に近い城のため、この程度の湮滅は仕方のないところであろう。それでも西側の空堀・土塁は、よくその形を留めている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.553086/140.618262/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
nice!(13)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 13

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント